白河市旗宿:白河神社と白河の関(その2)
先週のことだが,白河神社(福島県白河市旗宿)を参拝した。祭神は,鹽伊乃自直命(白河國造)・天太玉命・中筒男命・衣通姫命。
白河神社は,式内社・陸奥國白河郡白河神社に比定されており,異論はない。
白河神社の境内地は,全体として,山城のような小山になっており,考古学調査の結果,この山城のような小山が白河の関であるという見解がほぼ支配的になっている。
実際に見学してみると,土塁と堀で囲われた郭のような場所は予想以上に広かった。無論,大軍が押し寄せた場合には持ちこたえられるはずがないが,古代~平安時代~鎌倉時代頃であれば相当の期間にわたって時間稼ぎをすることができたのではないかと想像する。
もともと砦や柵というものは,そのような性格をもっており,関もまた同じと考えることができる。
そのようなことを考えながら,ゆっくりと見学した。
この日は,神社の参拝者は結構多かった。タイミングを見て写真を撮ったので私の写真の中には人が写り込んでいないけれども,実際には多くの人々が境内地内に存在した。
しかし,何と表現して良いのかわからないが,土塁や空堀の所在地を含め,白河の関としての史跡である場所(主として発掘調査が実施された場所)を歩いているのは私しかいなかった。何とも残念なことではある。
白河神社境内にある奥の細道碑
史跡範囲南側にある案内板
ホタルの里付近
遊歩道東端付近
(発掘地点B地区の山裾付近)
北東側の参道
北東側の遊歩道
(発掘地点C地区下の山裾付近)
鳥居西側にある四阿
北東の方から見た鳥居と参道の南側にある空堀様の地形部分
南東の方から見た鳥居と参道の南側にある空堀様の地形部分
拝殿脇にある杉の巨木
拝殿付近から見下した北東側参道
発掘地点C地区付近
発掘地点B地区付近
同上
空堀北東角付近
空堀北側部分
東の方から見た空堀北西角付近
北西の方から見た空堀北西角付近
西の方から見た空堀北西角付近
北東の方から見た西側の空堀
西側の空堀近景
土塁北西端付近
北側土塁内側の様子
(手前の平坦地は発掘地点A地区の一部)
説明板
発掘地点A地区から見た西側の空堀
東側土塁内側
(手前の平坦地は発掘地点A地区の一部)
西側の空堀の北西側にある石碑(歌碑?)
境内地南西側の遊歩道
境内地南西の山裾付近
境内地の南西側にある水路
南の方から見た白河神社境内地の森
ちなみに,私は,『奥の細道』を高校生に読ませることそれ自体には反対しない。しかし,高校生に対して感動を要求することには断固として反対する。若者に対して「理解しろ」というほうが無理を要求しているのだ。そもそも精神的自由・内面の自由に対する侵害を構成し得る。感動しない自由もある。
私は,『奥の細道』の冒頭部分は,日本語で書かれた文の中でもトップクラスの名文の1つだと思っている。仏教的な無常観を率直に述べているだけなのだが,信じがたい深みがある。それは『平家物語』や『方丈記』にも共通して存在するものだ。
頭では理解できるし,大学受験対策として暗記することもできる。
しかし,その深みのようなものを骨身に染みて納得できるためには,人生において成功と失敗をさんざん積み重ね,悔恨という名の汚泥が臓腑の底に分厚く沈殿し,発酵し,熟成するようになるまで待たなければならない。
無論,若くても天才はいる。天才は天才なので,最初から学校教育とは無縁だ。型にはめようとすると殺してしまう。天才を活かすも殺すも周囲の人間次第。ところが,凡人には絶対に天才を理解できない。
そのような天才は一応除外して,普通のレベルの人間だけ考えるとして,若い人々に対して「老成した考え方などを理解しろ」と要求することは,そもそも無理を強いることなのだ。
それゆえ,感動を強要することには断固として反対する。
それにもかかわらず,私のこれまでの人生の中で,自分固有の感動または指導要領に書かれている感動表現を他人に対して強要する教員等と多数出逢ってきた。
一般に,学習指導要領というものは,頭の悪い教員でも失敗しないためのぎりぎり最低限のセーフガードのようなものなので,そのように理解しなければならない。
私は,そのような感動の強要と出逢う度に,「この人は何もわからないとても低レベルの知性しかない」と判断してきた。
そして,集団心理を悪用した洗脳的な行為として「感動」を強要する一定の政治的傾向をもった似非文化人的な人々(特に組織的に行動する人々)に対しては,常に警戒の視点を持ち続けてきた。
一般論として,感動という主観的情緒反応は,各人各様のものであり,各人固有のものなので,他人の内面に対して干渉したり,自己の感動を共有するように強要したりすることは絶対に許されない。
誰かが反対の意見を形成したり表明したりすることは自由だが,それは,常に言いっぱなしのものであるべきで,その受容を他人に対して強要してはならない。
いずれにしても,私は,これからも,自分自身で徹底的に調べ,その結果として納得できたことしか納得しないことだろうと思う。
そして,私自身だけのものとして様々なことに感動することだろう。
他人がどう考え,どう感じるかに関しては,真の天才の思索や考察のような場合を除き,あまり興味がない。
ルソーの場合もそうだったのだろうと想像するが,一般論として,思索と感動というものは,常に孤立している。
だいぶ前になるが,ルソーが散策したとされるジュネーブ市内の小路を歩いてみたことがある。
芭蕉でもルソーでもカントでもそうなのだが,歩くことは良いことだと思っている。
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