白河市旗宿:白河神社と白河の関(その1)
先週のことだが,白河神社(福島県白河市旗宿)を参拝した。祭神は,鹽伊乃自直命(白河國造)・天太玉命・中筒男命・衣通姫命。
白河神社は,式内社・陸奥國白河郡白河神社に比定されており,異論はない。
白河神社の境内地は,全体として,山城のような小山になっており,考古学調査の結果,この山城のような小山が白河の関であるという見解がほぼ支配的になっている。
この点で,白河の関は,奥州三関と言われる関の中で白河関以外の関,すなわち,念珠関及び勿来関とは少し異なるように思う。
念珠関は,その所在地(山形県鶴岡市鼠ヶ関)が確定しているけれども,往時における遺跡が全くない。また,今日,勿来関とされている場所(福島県いわき市勿来町関田)は,江戸時代初期に観光のために開発された場所であることが既に判明しており,考古学上では勿来関として確定しているわけではない。現時点において,往時の勿来関の所在地は不明のままと理解するのが正しいようだ。
松尾芭蕉『奥の細道』で広く知られた場所とはいえ,山の中にある交通の難所だからこそ重要な関が設けられたわけで,現代でもそのことに変わりはない。この私も今回訪問するまでは白河の関の所在地を現実に訪問したことはなかった。
初めて現地を訪問し,くまなく見て回った感想としては,土塁や空堀の構造や規模からして,かなり強固な軍事要塞として構築され,そのようなものとして維持・管理されていた関所なのだと思う。
ただし,現在では耕地や民家敷地になってしまっている場所にも白河の関の関連施設があったのだろうし,そのような施設は,時代の変化と共に,施設の規模や具体的な配置等を変えながら江戸時代まで存続していたのだろうと推測される。
最もシンプルに考えて,白河関が比較的大きな軍事施設である以上,その維持・管理に関与する者の数は多数だったと推測され,それらの者に提供されるべき十分な輜重が具備されていないければ,関の維持・管理を担当する者がみんな餓死してしまうことになる。だから,(関連倉庫や馬屋等を含め)関それ自体の何倍もの規模の関連施設が必要となるのだ。
いずれにしても,松尾芭蕉ではないが,一生に一度は訪問すべき場所の1つであることは疑いようがない。
なお,この日はiPhoneのカメラ機能を使っていろいろと撮影してみた。iPhoneのカメラ機能に関しては,完全に初心者レベルなので,目下,いろいろ試して学習中。
社号標
古い石碑
白河関跡の説明板
白河関跡の発掘調査に関する説明板
案内図
古関蹟碑
古関蹟碑の脇にある石祠
左側の狛犬
右側の狛犬
手水
鳥居
石段
石段上部
拝殿
拝殿屋根の破風部
本殿
社殿側面
由緒書
境内社(八雲神社)
境内社(稲荷神社)
境内社
(雷神社・若木神社・愛宕神社・神明神社・大山祇神社・熊野神社・天神神社)
境内社(國津神社)
境内社(大山祇神社)
古歌碑
古歌碑の説明板
古い供養塔や石祠など
従二位の杉
参道脇の公孫樹
社務所
西の方から見た白河神社鎮座地
白河関の北西に見える山
白河関の西に見える山
栃木県との県境方面の景色
玄松子:白河神社
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