埼玉県児玉郡神川町二ノ宮:大光普照寺

2022年9月中旬のことだが,金鑽大師として知られる天台宗別格本山・金鑽山一乗院大光普照寺(埼玉県児玉郡神川町二ノ宮)を参拝した。本尊は,十一面観世音菩薩。
児玉霊場三十三番札所・関東百八地蔵霊場第十八番札所となっている。

下記の大光普照寺のホームページ上の縁起の記述によれば,大光普照寺は,聖徳太子の創建,舒明天皇の勅願寺とされている。平安時代の始めに慈覚大師が来訪して十一面観音菩薩像を安置した。その後,元三慈恵大師(元三大師)が来訪して自作の像を奉安したことから,金鑽元三大師としても知られている。そして,大光普照寺は,鎌倉時代以降には喜多院(埼玉県川越市小仙波町)及び宗光寺(栃木県真岡市長岡)と共に,関東の三談林とされていた。
神川町・神川町教育委員会編『神川町史』(平成元年)の905~913頁にはこの点と関連する詳しい解説がある。

金鑽神社は,元は大光普照寺の奥の院だったけれども,明治時代の神仏分離により分かれ,現在のようになった。その際,多宝塔も金鑽神社の所有となったとのこと。

以上のような歴史・沿革及び実際の立地から考えると,(不動明王や石仏群を含め)御嶽山全体,その山裾にある金鑽神社(元の大光普照寺奥の院)と大光普照寺は,それら全部が混然一体となって,宗教的にも政治的にも経済的にも軍事的にも一体のものとして存在していたと考えるのが合理的だろうと思う。

なお,大光普照寺の境内には「赤城型」と呼ばれる宝塔があるとのことで,『神川町史』の584~587頁に詳細な解説がある。
歴代住職の墓所の区画の最後列にそれらしい石塔が並んでいた。しかし,今回訪問した時点では詳細情報を入手していなかったので,石塔の碑文等を確認していない。それゆえ誤認かもしれない。
もし機会があれば,再訪して確認し,丁寧に拝見したいと思っている。


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山門


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中門


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本堂


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大光普照寺の説明板


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指定文化財の説明板


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本堂屋根にある寺紋


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薬師堂


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忍岡穴稲荷尊


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鐘楼


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梵鐘


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地蔵尊と石塔


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石塔


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歴代住職の墓所
(最後列に並んでいる石塔が赤城型宝塔?)


大光普照寺の本堂の背後にも山がある。見たところ何もない山で,遺跡包蔵地としての指定もない。しかし,元は古墳群があっても不思議のない場所であり,また,鎌倉時代以降には城の一部を構成する郭または出城のような場所だったのではないかというような印象を受けた。
この山の山頂付近には休憩所のようなものがある。その場所をずっと陣取っている男性がいたので,その男性の姿を避けるようにして山頂付近の一部だけ写真を撮った。


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散策路


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細長い尾根のような場所


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堀切のように見える脇道


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山頂付近


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山頂付近から見上げた空


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ヒガンバナ



 金鑚大師


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