宇都宮市馬場通り:二荒山神社(その1)
過日,二荒山神社(栃木県宇都宮市馬場通り)を参拝した。祭神は,豊城入彦命。大物主命と事代主命を配祀している。
式内社・下野國河内郡二荒山神社の論社となっている。他に,日光の二荒山神社も式内社・下野國河内郡二荒山神社の論社となっている。
社伝によれば,豊城入彦命の4世孫・奈良別命が創始した非常に古い神社とのこと。
社殿のとおりであるとすれば,下野国の官衙の中心建物そのものだったと理解することも可能と思われる。なお,その当時において,現在一般的に理解されているような意味での都城のような都市計画上の概念が現在の関東平野に存在したか否かは不明。
『新撰姓氏録』の中には,奈良別命の子孫として,「吉弥侯部」が収録されている。
「吉弥侯部」に関しては,大伴部との関連を指摘する見解が多い。また,「吉弥侯部」は「君子部」または「君子」と同じだと考えるのが通説。
「君子」は,現在の神社との類比で考えれば,当社の神と「氏子」との関係と同じように考えるのが妥当ではなかろうか。このように考える場合,名目と実質の両方を可能な限り正確に理解することが非常に重要だ。
さて,宇都宮の二荒山神社は,とても規模の大きな神社で,長い石段を登ると神門と拝殿がある。石段の左右を含め,境内各所に多数の境内社がある。
私が訪問した時には結構多くの参拝者があった。他の参拝者が可能な限り写真の中に写り込まないように,瞬間的なチャンスを狙って写真を撮った。
二荒山神社は,山の南側を掘削して雛段状にした土地を境内地としているが,この山の山頂部分は神域のような山林となっており,一般の人が出入りできない場所となっている。
この本殿裏の山頂部分を含め,二荒山神社の境内地は,遺跡包蔵地には指定されていない。
しかし,立地から考えると,古代から利用されてきたことが明らかな場所であり,何らかの意味で遺跡があった場所であることは疑いようがなく,もしかすると山頂付近には(例えば,御蔵山古墳や天子塚古墳のような)古墳があったのかもしれないというような印象を受けた。
石段
石段側面
女坂
神門
東回廊(表側)
東回廊(裏側)
拝殿
本殿
本殿側面と女体宮
由緒書
神楽殿正面
神楽殿側面
明神の井
公孫樹
神馬像
女坂の上にある冠木門
蕪村句碑
蕪村句碑の説明板
前田雀郎句碑
前田雀郎句碑の説明板
境内の様子
二荒山会館
二荒山会館建設之碑
駐車場から見た山頂付近の様子
東神苑歩道
宇都宮二荒山神社
玄松子:二荒山神社
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