熊谷市上中条:常光院と中条氏館跡(その1)

過日,熊谷厄除大師として知られる天台宗・龍智山毘盧遮那寺常光院(埼玉県熊谷市上中条)を参拝した。本尊は,釈迦三尊。
常光院は,関東ぼけ封じ観音霊場二十八番,武蔵国十三仏霊場十三番,関東百八地蔵尊霊場十六番,関東九十一薬師霊場三十八番となっている。

下記の常光院のホームページの記載によれば,常光院の境内地は,元は武蔵國司・藤原常光が建てた公文所であり,藤原常光は,「中条(中條)」の地名を姓とし,館を構えて政務に精励したが,保延3年(1137年)に病没し,常光院の東にあった常光塚(権現山古墳)に葬られ,その後,建久3年(1192年),中条出羽守藤次家長が,中条館を寺院境内地とし,比叡山から金海法印を迎えて開基した寺院とのこと。
つまり,常光院は,藤原氏の子孫である中条氏の館だった場所を境内地とする寺院ということになる。

常光院の本堂の屋根は高く,茅葺になっており,とても素晴らしい。しばし眺めた。
また,本堂裏には館跡の一部と思われる庭園がある。その庭園内には経蔵があるのだが,その場所には経塚のような塚もあった。

常光院の境内地は,現在でも鎌倉時代の館の雰囲気を濃厚に残している。全体として方形をしており,四周を水路が囲んでいる。
この水路は現代のものだが,往時の堀の所在地と概ね一致するのではないかと思われる。
ただし,境内の西側部分には墓所等のために往時の地形がほぼそのまま残されていると推定できる場所がある。それらの堀跡や土塁の残る場所は,正確には完全な長方形のプランに従っているわけではないので,(防御等の目的のために)室町時代以降にやや複雑な形状に改造された場所なのかもしれない。

藤原常光の墓所とされる常光塚(権現山古墳)の所在地は,常光院の東にあったということ以外にはよくわからない。現在の藤原常光の墓所は,天野氏累代の墓所と共に,常光院の境内にある。
一般に,塚がなくなってしまうと重要な遺跡の所在地が不明になってしまいやすいので,塚や古墳は,可能な限り削らないで残しておくべきだと思う。


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常光院山門


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常光院通用門


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山門前の水路


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厄除大師縁起


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中条氏館跡の説明板


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山門脇にある沿革碑


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史跡の標柱


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参道


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参道脇の土塁


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参道脇の石塔


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本堂


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本堂玄関付近


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常光院本堂の説明板


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傳教大師童形像


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屯倉の礎石


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藤原常光墓所・天野氏累代の墓所


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中条判官藤原常光公墓


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本堂裏にある納教堂


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経塚?


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ぼけ封じ観世音菩薩


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大日如来


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阿弥陀佛


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土塁の一部?


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ヌマガエル



 常光院


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