印西市竜腹寺:辻の神と八坂神社
過日,仙元神社が祀られている天王台古墳(千葉県印西市竜腹寺)を見学した後,谷津のような場所を東の方に進み,同古墳の台地の東にある別の台地上の森の中を通る道を東進しだ。
しばらく歩くと馬頭観世音などがある。馬頭観世音の右に2基の石仏がある。馬頭観世音の印相とは異なるようだ。関善光寺(岐阜県関市西日吉町)の宝冠大日如来の印相と似ているようにも見えるが,よくわからない。
この場所は,小さな塚になっているように見える。これは,道標として構築されたものなのだろうと思う。
馬頭観世音などがある場所の東の森の中には酒塚古墳という方墳があることになっている。しかし,正確な所在地を知らなかったことと,たぶん道がないだろうと判断できたことから,その酒塚古墳の所在地と思われる場所付近には行かなかった。
その馬頭観世音などがある場所から左折(北進)し,延命地蔵尊(千葉県印西市竜腹寺)の方に向かって更に歩いた。
東の方から見た馬頭観世音などの所在地付近
南の方から見た馬頭観世音などの所在地
馬頭観世音など
馬頭観世音などのある場所から北進すると,道の上に辻切りの注連縄がかけられている。この注連縄の脇に鳥居と石祠があった。
また,この鳥居の脇には2基の古墳が連なっているような感じの塚状地形になっている。現時点では古墳としては扱われておらず,城跡の土塁とも野馬土手とも扱われていない。単なる残土のような土塊に過ぎないのかもしれない。
一般に,藁で作った注連縄や蛇の形をした辻切りなどは,辻の神の一種で,印西市~印旛郡の里山の村々の境界を示すものとのこと。千葉県立房総のむら(千葉県印旛郡栄町龍角寺)では,様々な形態の辻の神が遊歩道脇に屋外展示されている。
これらの辻の神は,現在ではほと壊滅的に失われてしまっている習俗の一種なのだが,かつては日本各地で行われていた。
辻の神の写真記録は,萩原秀三郎『目でみる民俗神 第三巻 境と辻の神』(東京美術,昭和63年)の中にまとめられている。とても貴重な写真記録だと思う。一般に,当時はごく普通のものだったと思われる。ごく普通のものであるがゆえに,当時は非常に高価だった写真を撮影する人はあまりいなかった。そのため,当時の普通の情景の写真は,全国レベルで極めて乏しい。私は,萩原秀三郎氏を尊敬している。
鳥居と石祠
鳥居脇の塚状地形部分
鳥居の少し北にある低い塚状地形部分
注連縄のある場所から更に北進した。しばらく歩くと八坂神社の鳥居が見えてくる。祭神は,素戔嗚命。
この八坂神社は,記録上では明治40年竜腹寺日枝神社に合祀されたことになっている八坂神社と同一の神社ではないかとの見解もあるが,よくわからない。
参拝した。
八坂神社の鎮座地
八坂神社の鳥居
八坂神社の社殿
手水
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