水戸市田島町:田島古墳群(その1)
過日,2度にわたり田島古墳群(茨城県水戸市田島町)の所在地を訪問し,見学可能な古墳を見学した。
道のない場所にある古墳等に関しては,最初から見学を断念した。
1回目に訪問したときには,畜舎等の建物がある場所周辺に無断で立ち入ることができないと判断し,主に古墳群の西側部分にある古墳を見学した。
2回目に訪問したときには,畜舎等の建物のある場所付近で運良く所有者の方と出逢うことができた。目的等を説明した上で,「支障があれば見学を諦めますが,見学しても良いですか?」と尋ねると,「何ら差支えない」と快諾を得たので,所有者の方のご厚意に甘えることにし,この畜舎等の建物のある場所の周囲にある古墳と古墳群所在地の東側部分にある古墳を見学した。
まことにありがたいことだと思う。
田島古墳群の分布図は,茨城県教育委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅲ』(昭和61年3月)の33頁にある。この分布図の中には古墳番号が記されているものが多く,また,国土地理院の地図と照合しながら山林内の道を確認し,そのとおりに歩いてみた結果,この分布図に示されている地形及び山道がかなり正確なものだということを認識できた。ただし,この分布図は,図の左側が北であり,図の上側は東になる。
ちなみに,この山道は,基本的には自動車の通行を予定していない道路(林道)だと思われ,幅が狭く,路肩が軟弱で,山の中で行止まりになっている道が多いので,現地まで自動車で行くことを想定してはならない。私は,牛伏古墳群の駐車場にクルマを停め,そこから先は徒歩で往復した。
他方,内原町市編さん委員会編『内原町の遺跡-内原町遺跡分布調査報告書-』(1994年)の分布図II-1にも古墳分布図があるが,この分布図には古墳番号が付されていない。
そこで,同報告書の5~8頁にある解説と上記『重要遺跡調査報告書Ⅲ』の記載とを照合し,予め私製の仮分布図を作成しておき,それに従って古墳群を見学した。私製の仮分布図を作成するに際しては,国土地理院の地図も参照し,詳細データとの突合を行った。
現地に行ってみると,古墳と認められる塚状地形の墳頂付近には,赤い標柱が打ち込まれていた。かつて内原町教育委員会による測量調査等の際に打ち込まれたものと推測され,その標識のある場所は古墳に間違いないと確認しながら見学を進めた。
田島古墳群所在地の西端付近に分布する古墳の中には立入禁止区域となっているため近くまでアクセスできないものが複数ある。それらの古墳の存否は不明なのだが,状況からすると,既に完全に湮滅している古墳が多いのではないかというような印象を受けた。
このブログ記事では,1回目の訪問時の見学結果と2回目の訪問時の見学結果を適宜混合し,基本的には1号墳~50号墳の順に見学結果を紹介しようと思う。
田島古墳群の中には大きな前方後円墳や大きな円墳も含まれていることから,その被葬者が誰であったのかについて興味が尽きない。この点に関し,内原町史編さん委員会編『内原町史 通史編』(平成8年)の160頁は,那珂國造累代の墓所とする見解を紹介した上で,「舟塚古墳群,田島古墳群,牛伏古墳群を那珂国造家累代の墓地に比定するには,副葬品などの検討を必要とするが,那珂国造一族が任命された伴造の墳墓とみることはできるであろう」としている。そして,同書の162~164頁では,「大伴部」に関する記述に続けて「友部」との地名との関連性が述べられている。「大伴氏」との関係についても触れられている。
さて,和光院の境内地西側にある掘割のような山道を登ると,有限会社辰岡建設の作業場のような場所に至る。この有限会社辰岡建設の敷地北東端付近で山道が分岐する。この分岐点から西の方に進むと,有限会社辰岡建設の敷地のすぐ北側に薄い皿を伏せたような地形部分が存在することに気づく。この部分が田島1号墳に該当する。
田島1号墳は,直径30m・高さ1mの円墳とされている。
現況は,東西では30mの長さがあると認められるけれども,南側は道路によって一部削られているように見える。
高さがほとんどない古墳なので,予め正確な知識がないと古墳だと気づくことができない。
(直進して北進すると2号墳~5号墳所在地方面に至る)
(左折して西進すると1号墳,13号墳~30号墳等の所在地方面に至る)
北の方から見た分岐点付近
東の方から見た有限会社辰岡建設敷地の北側を通る道路
(右手は田島1号墳の墳丘の一部)
東の方から見た有限会社辰岡建設敷地の北西端付近を通る道路
(右手は田島1号墳の墳丘の一部)
西の方から見た田島1号墳の墳丘の一部
西の方から見た田島1号墳の墳頂付近?
有限会社辰岡建設の敷地北西端の分岐点から北の方に進むと,目の前に森のようなものが見えてくる。この森が全体として田島2号墳となっている。
かつて,田島1号墳と田島2号墳の間(1号墳所在地の北側)には田島48号墳(直径25mの円墳)があったが,掘削され湮滅している。現況は雑種地になっており,墳丘の残骸のようなものも全く存在しない。
道を北の方に進むと畜産飼料タンク等のある区画の手前付近で道が分岐する。直進(北進)すると,畜産飼料タンク等のある区画に至る。分岐点から斜め右(北東)の方に進むと,3号墳~5号墳の所在地付近に至る。
田島2号墳は,全長53m,後円部直径53m・後円部高さ6.4m,前方部幅18m・前方部高さ2mの前方後円墳とされている。田島2号墳の前方部は,北東の方を向いている。
田島2号墳の所在地は,畜産飼料タンク等の施設のある場所の奥となっており,無断で立ち入ることができない。
2回目に訪問した時には幸運にも所有者の方と出逢うことができたので,その許可を得て飼料タンクの奥の方に入った。
すぐに後円部がある。大きな前方後円墳だった。墳丘裾には周溝にしてはちょっと加工が過ぎているような造作があった。周溝を二次利用して構築された後代の水路または掘割のような構築物の一部ではないかと想像した。
なお,田島2号墳の後円部の墳丘の一部は,南側~南西側を通る道路から雑種地越しにも一応見える。
南の方から見た田島2号墳の所在地(奥の高い樹木がある部分)
(道路の左側にある雑草が繁っている場所が湮滅した田島48号墳の所在地付近)
畜産飼料タンク等のある区画手前の分岐点
(直進すると畜産飼料タンク等のある区画の前に至る)
(斜め右の方に進むと田島3号墳~5号墳等の所在地に至る)
畜産飼料タンク等のある区画
畜産飼料タンクの裏側付近から見上げた田島2号墳の後円部
田島2号墳の後円部墳頂付近
田島2号墳の墳頂から見た墳丘南西側の雑種地付近
(奥の林縁付近に道があり林内を西進できる)
田島2号墳の墳頂付近から見た前方部
田島2号墳の周溝のような部分
墳丘の南西の方から雑種地越しに見えた田島2号墳の後円部の一部
(草木の葉が枯れる季節にはもっと明瞭に墳丘が見えるらしい)
[追記:2023年2月17日]
田島古墳群を再訪したところ,田島2号墳の所在地付近にあった畜産関係の施設・建物が全て撤去され,更地状態となっていた。この再訪に関しては,別途ブログ記事を書くことにする。
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