佐倉市:国立歴史民俗博物館特別展「加耶-古代東アジアを生きた、ある王国の歴史-」

国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市城内町)で下記の特別展が開催中。

  加耶-古代東アジアを生きた、ある王国の歴史-
  開催期間:2022年10月4日(火)~12月11日(日)

とても素晴らしい展示会だと思う。どの展示物も一見の価値のあるもので,説明内容はとても勉強になる。

1枚目の写真の冑が古代ギリシア~古代ローマ~スキタイと共通の文化を基礎とするものであることは言うまでもない。西域からやってきた文化の1つ。

2枚目の写真の単甲の背にある紋様は,山羊角神(=祇園神?)を図案化したものと思われる。ルシファーのような山羊角神の図案は五胡十六国~唐の時代のソグド人の墓所内の棺の浮彫などに見られることがある(例:北周史君墓)。これも西域からやってきた文化の1つ。

3枚目の写真の馬冑は,五胡十六国の時代の中央アジア~極東アジアに見られるもので,文化として連続性がある。重装備した馬の図は,中国大陸内の多数の王墓等の壁画として残されている。基本的には西域からやってきた文化が変容したものではないかと推定される。
なお,古墳時代の日本国内において多数の馬が飼育されていたことを証明する出土物等の展示と説明は,国立歴史民俗博物館の常設展示(第1展示室)の中にある。当時の倭国に騎馬軍団が存在し,角笛と思われる楽器を演奏したことを記録した古代中国の史料としては『隋書』がある。

4枚目と5枚目の写真の土器は,明らかに古代の漢文化の流れの中で位置付けることのできるものだと言える。中国内において発行された関連図録や参考文献等は,数えきれないほど多数ある。
4枚目の写真の土器には装飾が付されている。これは,墳墓に蔵置するためのレプリカのようなものなので全部土器になっているのだけれども,本来は木器や玉器に金の装飾をつけたものが被葬者遺愛の宝物であった可能性が高い。その装飾品としては,一般に「耳飾り」として扱われている金製品が含まれ得る。

最後の写真の金冠(復元品)は,古墳内から発掘される(黄泉の国の王の冠としての)天冠とは全く異なり,生きている王または王に匹敵する権力をもつ者が他の者(臣下や他国の外交使節等)に対して権威を示すための冠であることが明らかで,中国の古代の文献資料等の中にもその記載がある。日本国内では藤原鎌足の大織冠がそれに相当すると考えられる。
このような冠の造形は特殊なもので,かなり離れた西アジア~中央アジアとの文化的関連性を精密に研究しないと解明できない部分がある。
例えば,中国の古い文献でも指摘されている「双羽」という特徴は,この復元品でも丁寧に再現されているが,双羽冠の図は中央アジアの王墓遺跡等でも発見されている。そして,形象それ自体としては,山羊角神と同じものとして理解することも可能かもしれない。

以上,いずれの文物に関しても,今後,中央アジア~西アジアをフィールドとする研究者との密接な連携の中で調査・研究が進められるべきだろう。
また,中国東北部の渤海関連とされている遺跡からは非常に古い時代に該当するシュメールの形象として理解可能な石材彫刻が発掘されているので,例えば,長い年月をかけてシュメール人の子孫が(姿かたちをかえながらも葬祭文化だけは一貫性を維持しつつ)極東まで移動してきた可能性を仮説としてたててみるなど,可能な限り柔軟な発想・思考を試みる必要がある。

一般論として,誤った固定観念は,害悪そのものだ。


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