坂東市山:駒寄古墳
過日,駒寄古墳(茨城県坂東市山)を見学した。
猿島町史編さん委員会編『猿島町史 資料編 原始・古代・中世』(平成5年)の149頁によれば,駒寄古墳は,直径15m・高さ1.2mの円墳とされている。
なお,駒寄古墳は,坂東市猿島保健センターのほぼ北200mのところに位置し,ブロック塀で囲われた立派な墓地区画の中にある。
この墓地区画は,元は「両墓制」と呼ばれる墓制に従ったもので,遺骨や遺灰を埋める「埋め墓」区域内に駒寄古墳があり,この「埋め墓」の区域から少し西に離れた公民館の傍に遺骨や遺灰を埋めるのではなく墓参のための墓石が建てられる「詣り墓」があるという2つの区域で構成される墓所になっているのだそうだ。
この古墳のある墓地区画の中には立ち入らず,公道から見える範囲内で1枚だけ写真を撮った。公民館の北側にある「詣り墓」区域には寄らなかった。
普段馴染のない墓制等について,とても勉強になる見学となった。
この両墓制を一般化してトポロジー的に考察してみると,例えば,古墳の墓室を守護・礼拝・鎮魂するために寺院や神社や御堂が建てられている場合,明らかに「詣り墓」と「埋め墓」が区分され,併存していることになる。
つまり,両墓制は,古代の支配者の墓制をそのまま踏襲するものであり得るとも考えられる。
他方において,両墓制を前提に考えてみると,例えば,横穴墓や地下の箱式石棺が「埋め墓」であり,これとは別に「詣り墓」として(石室が全くない)塚がつくられるということもあったのではないかという仮説が成立し得る。
このような仮説が成立しそうな地域においては,「遺物が何も発見されない」という理由だけで「古墳時代の古墳ではない」と断定することはできないということともなり得る。
茨城県北部~栃木県北部に現存している比較的大規模な横穴墓群の中には,横穴墓が所在する崖地や斜面の上の方の山頂や台地にモニュメント的な塚が構築されている場合がある。このような墓制も両墓制の一種だと考えると,横穴墓が「埋め墓」であり,モニュメント的な塚が「詣り墓」であることとなり得る。
無論,横穴墓の中には常に開口していて墓参できるようにしてあり,あるいは,追葬が実施された例も発掘されているので,両墓制と同じような墓制が行われた可能性のある場所に存在する横穴墓の全てが完全な「埋め墓」だったということを主張したいわけではない。現代社会でも全く同じなのだが,日本人は「折衷」というものをこよなく愛するという習慣または社会的行動傾向のようなものを維持してきた。
ここから先は民俗学を専門分野とする研究者等による地道な実態調査の蓄積を要する。
「両墓制」の概念図
(白い区画が「詣り墓」・黄色い区画が「埋め墓」)
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