小諸市滋野甲:観音平古墳
過日,だんご石(長野県小諸市滋野甲)を見学した後,分岐的のY字路のような場所まで戻り,その分岐点から北西の方に向かって約100mほど進み,観音平古墳(長野県小諸市滋野甲)の所在地に至った。
途中には大小の石が露出している場所があり,元は古墳所在地だったのではないかというような印象を受けた。つまり,このあたりは,古代の群集墓の所在地だったのかもしれない。
小諸市史編纂委員会編『小諸市史 考古篇』(昭和49年)の110頁には,所在地を「大字芝生田字観音平」とする観音平古墳の記載があり,「布引山の断崖に向かって南に傾く斜面の畑の中に,封土を削られて蓋石を露出している古墳が一基ある。径約13.1メートル,高さは2.8メートル程の横穴式円墳である」と記されている。現在の小諸市のサイトでは,直径10.9mの古墳となっている。また,所在地の地名に関し,かつて「小諸市字芝生田」だった地区は,現在では「小諸市字滋野甲」となっている。
だんご石の所在地は,この『小諸市史 考古篇』にある「布引き山の断崖に向かって南に傾く斜面の畑」とほぼ同じような地形のままとなっているけれども,観音平古墳所在地付近の現況は,耕作が放棄されてから久しいようで,完全に山林状態となっていた。観音平古墳の所在地から布引山は見えない。しかし,樹木のない耕作地の状態を想像してみると,古墳所在地付近は布引観音を拝することができる場所となるので,まさしく「観音平」であることになる。
『小諸市史 考古篇』112~113頁には,観音平古墳の石室内の発掘品(須恵器)からの推測として,後代に追葬が行われた可能性が示唆されている。
ざっと見た感じでは,『小諸市史 考古篇』に記載されたのとほぼ同じ状態で石室が維持されているように見えた。
観音平古墳所在地の方に進む道
観音平古墳所在地の方に進む道(続き)
路傍の石材
南東の方から見た観音平古墳所在地付近
東の方から見た観音平古墳
石室開口部付近
石室内の様子
石室天井石側面
文化財であることを示す標柱
北東の方から見た様子
北の方から見た様子
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