飯山市:飯山城址とその周辺(その1)
2022年8月中旬のことだが,飯山城址(長野県飯山市飯山)とその周辺を見学した。
飯山城の築城年は不明だが,実際に現地の様子を見学してみて,もしかすると古代から砦・館または古墳群が所在した場所かもしれないというような印象を受けた。
鎌倉時代以降には泉氏,高梨氏の居城となり,戦国時代には上杉謙信が大規模に改修して信濃侵攻の拠点とし,江戸時代には,飯山藩の城となったものの,皆川城の城主だった皆川広照等の藩主がめまぐるしく交替し,最終的には本多氏が飯山城主となった。明治維新の際,戦闘により,飯山城の建築物の大部分が焼失したとのこと。
飯山城から町内に移築されたものだと伝えられている長屋門の建材を一部使用し,飯山城の中門の図面等を参考にして復元・作成された城門が城址公園入口付近に設置されている。この城門は,往時の建材の一部を使用した現代の復元構築物の一種として理解できる。
西曲輪等の飯山城内の曲輪の縁には土塁が存在する部分がある。元からの土塁と理解可能なものが少なくないけれども,整備されて綺麗になっている土塁の多くは現代に復元されたものだろうと思う。
現在,皆川城の城跡遺跡は,史跡公園「飯山城址公園」として整備されており,かつての本丸所在地は葵神社の境内地となっている。城の周囲に存在した堀の大部分は埋められてしまっているけれども,部分的にその名残りのようなものを見ることができる。
飯山城跡の北西側にある駐車場にクルマを停め,予定していた時間内で城跡とその周辺の主要部分を見て回った。
城址公園入口脇にある猪瀬清四郎「記憶」
同上
城址公園正面入口の坂道
(御用所跡付近)
飯山市武道館
飯山市武道館前にある小賀坂スキー製作所工場跡地碑
「長野県スキー発祥の地」の標識
飯山城址整備計画の説明板
城門の設置場所付近
(帯曲輪跡付近・大手門等の所在地とは完全に無関係)
城門正面
城門裏面
城門の敷石
城門の敷石
城門の説明板
飯山市弓道場
(帯曲輪跡付近)
弓道場の北西側にある駐車場と弓道所付近に登る石段
(駐車場敷地は飯山城北西側の堀跡の一部)
飯山市交流展示館
(西曲輪の一部)
長屋風の御手洗い
(西曲輪の一部)
西曲輪西側部分
(かつて市民会館が建設されていた場所)
西曲輪南側部分
(奥は飯山市立飯山小学校の屋根の一部)
西曲輪の南端付近から見た堀跡の一部
西曲輪の南端付近から下る道
(この道を降りた場所が大手門跡付近)
西曲輪の南側下にある葵神社の鳥居
(大手門跡付近)
(左手に登る道が扇坂)
葵神社の鳥居付近から見た西曲輪の南端~南東端付近
西曲輪の南側にある水路(堀跡の一部)
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