鹿沼市末広町:清林寺
過日,浄土宗・江南山松寿院清林寺(栃木県鹿沼市末広町)を参拝した。
縁起書によれば,清林寺は,約700年前に開山の寺院で,室町時代に再建され,明治時代以降には浄土宗名越派の寺院として大いに栄えることになった寺院とのこと。
清林寺の境内には,日本国内ではかなり珍しいスリランカ仏の大きな立像があり,遠くからでもよく見える。このスリランカ仏は,清林寺とスリランカ仏教界との親密な関係の中で建立されることになったもののようだ。
境内地にある説明板の記載によれば,このスリランカ仏は,スリランカのアウカナという場所に約1600年前に建立された仏像(アウカナ佛)をかたどりして写したものとのことなので,その当時の時代のスリランカにおいて主流だった造形または美術様式を現代の日本国に伝えるものということができる。日本国においては古墳時代~飛鳥・奈良時代と概ね同じ頃ということになるだろう。
私自身はスリランカに渡航したことがなく,その歴史や文化に関しては写真や映画等を通じてしか知らない。それゆえ,スリランカで一般的なものなのかどうかは知らないのだが,その前提で清林寺のスリランカ仏を眺めると,頭部の造形に特徴があるように思った。
日本国内の古墳等から発掘される古墳時代の武人の冑の中に同じような形状のものが多数存在する。
一般に,日本国の古墳時代の冑と現代の仏像の頭部形状を比較した研究はたぶんないだろうと思う。しかし,このような比較は荒唐無稽のものではない。例えば,東寺の諸仏の頭部を見れば,それらが軍事的または戦闘的な為政者の姿を映したものである可能性を理解することができる。その後に日本各地で作成された大日如来像等にもその影響が見られる。しかも,それらの頭部の様式は,六朝~唐代の中国の仏像等においても多々みられるものだ。
宗教と関係する文物に限らず,古墳時代~奈良・平安時代には,風俗・習慣全般に関して,ある意味で濃厚にインターナショナルな部分があり,日本固有のものではなかったという視点から考察することが肝要だ。
また,仏教と軍事とは相いれないと考える人もあるかもしれないが,坂上田村麻呂の事跡を含め,勝軍地蔵尊または将軍地蔵尊などについて調べ,考えてみれば,歴史上における仏教の国家的役割(国家統治上の役割)に大きな変容があったということに気づくことができるだろう。
私見としては,坂上田村麻呂の「坂上」は,「坂上直」を祖とするものだが,本来は「釈尊(釈の神・釈の上・釈の守)」という意味をもつ敬称または尊称の一種であり,祖である東漢氏の阿知使主が仏教徒であること(または,釈迦族の一員と自認する者らの子孫であること)を示すものだと考えている。ユーラシア大陸は広い。
縁起書
参道
本堂
アウカナ佛の説明板
アウカナ佛正面
アウカナ佛側面
アウカナ佛頭部
アウカナ佛背部
清林寺住職による説明書
尊者?
観音像
御堂
日限り地蔵尊
ポックリ様
鐘楼と六地蔵
石塔
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