常陸風土記の丘公園再訪(その2)
常陸風土記の丘公園(茨城県石岡市染谷)の屋外展示の復元家屋等の現況がどうなっているのかちょっと興味をもち,「石岡を掘る7」の室内展示を見学した際,久ぶりに屋外展示の建物等も網羅的に見学してみることにした。
常陸風土記の丘公園内には,常磐自動車道の敷地にかつて存在していた「鹿の子遺跡」の遺構の一部が復元され,建物跡の上に復元家屋が建設されている。
鹿の子遺跡は,鉄器の製造工場と推定される施設の複合体であり,当時としては相当に大規模な工業施設だったと考えられている。
おそらく,この適製造工場で製造された刀や鏃等の武器等が一定量蓄積され,兵糧や兵員の数が整うと,東北地方の制圧のために現地に送り届けられたのだろう。
配水用溝のようなものも復元されている。当時,トイレというものが存在しないので,おそらく,この排水路に水が流れており,その上にまたがって用便をしたのだろう。
順路案内
2号連房式竪穴遺構の復元建物
2号連房式竪穴遺構の説明板
2号連房式竪穴遺構の復元建物の内部の様子
5号連房式竪穴遺構の復元建物
5号連房式竪穴遺構の説明板
5号連房式竪穴遺構の復元建物の内部
SI-145号の復元建物
SI-145号の説明板
SI-145号の復元建物の内部の様子
SX-01・01号工房の復元建物
(現況は倉庫として使用中)
SX-01・01号工房の説明板
(かなり破損・判読困難)
SB-6の復元された門
SB-6の説明板
排水用溝の復元?
排水用溝の復元?
SB-16の復元建物
SB-16の説明板
(破損・判読不能)
SB-16の復元建物の内部の様子
同上
SB-20の復元建物
SB-20の説明板
SB-20の復元建物の内部の様子
同上
復元建物の屋根に使用する萱の乾燥場所?
SB-8の復元建物
SB-8の説明板
(破損・判読不能)
SB-8の復元建物の戸口
SB-8の復元建物の屋根裏の様子
(復元建物内の現況は倉庫として使用中)
SB-4の復元建物
SB-4の説明板
野草園・薬草園の説明板
(現況は所在地不明・消滅したものと思われる)
SB-5の復元建物
SB-5の説明板
(一部破損・判読困難)
SB-5の復元建物の内部の様子
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SB-9の復元建物
SB-9の説明板
(一部破損・判読困難)
SB-9の復元建物の内部の様子
SB-10の復元建物
SB-10の説明板
SB-28の復元高床式倉庫
SB-28の説明板
SB-28の復元高床式倉庫の内部の様子
配水用溝の復元?
関連各分野におけるこれまでの研究成果により,関東地方全体において,鹿の子遺跡のような工業だけではなく,兵士としての徴用や兵糧としての食糧の徴収のような酷使・使役が継続した結果,地域社会が疲弊し,朝廷による支配・経営が全体として失敗してしまったことが関連史料によって裏付けられるようになってきた。
朝廷の軍(倭武)の屯田による植民地支配が成功したのがどれだけの期間だったのかに関し,正確なところはわからないが,奈良・平安時代全体を通じて朝廷による支配が平穏かつ成功裏に継続されていたと推定する学者は,現時点ではまずいないだろうと思われる。
現時点において朝廷による関東地方の支配が失敗したという点を強調する市町村史は必ずしも多いとは言えないが,例えば,『潮来市史』や『流山市史』等のように,この点が明確に強調されている市町村史もある。
遺跡の発掘による集落や施設等の所在地の確認と規模の推定はこれからも継続されなければならないけれども,それと同時に,可能な限り多様に,当時の社会生活や経済力等の社会の機能・作用面の研究が深められ,拡大されるべきだと思う。
ただし,かつてのように,「唯物史観」にこだわるような思考や手法は,合理的な知的生産に資することがないし,およそ科学とは無縁な結果を招くだけなので,そのような思考や手法を採用することは自覚的に避けるべきだ。
また,あくまでも一般論として,国家としての資金(国庫)が枯渇すれば課税を強化すれば良いというような安易な考え方だけを採用していると,最終的には(名目的な財政破綻だけではなく,実質的な国民生活全体の破綻により)国家体制が崩壊し,支配階級も物理的に滅び去ることになることは,日本国だけではなく(中国を含め)世界中どこでも同じことだ。
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