栃木県下都賀郡野木町野渡:野渡古墳群の所在地

熊野神社(栃木県下都賀郡野木町野渡)の境内には,境内社の1つとして,浅間神社(浅間宮)がある。この浅間神社は,浅間塚古墳と呼ばれる古墳の墳頂にあった浅間神社が移築・遷座し,この場所に鎮座することになったものとのこと。
浅間神社の入口手前右手に,その遷座の経緯を記した石碑がある。

野木町史編さん委員会編『野木町史 歴史編』(平成元年)の91~93頁によれば,浅間塚古墳は,野木町第6号古墳とも呼ばれ,野渡古墳群の主墳と考えられる円墳だったが,明治時代末に切り崩されて湮滅した。
浅間塚古墳の所在地は,光明寺の東約100mの場所付近だったようだ。そのあたりには土塁跡のような低い塚状地形部分もあるけれども,それは古墳の残骸ではないようだ。
浅間塚古墳から出土した太刀や勾玉等は散逸してしまったけれども,埴輪が東京国立博物館に寄贈されている。ただし,円筒埴輪が野木町郷土館(栃木県下都賀郡野木町丸林)で保存・展示されており,この円筒埴輪が野木町内で保存されている唯一の浅間塚古墳の埴輪とのこと。

現在,野渡古墳群を構成する古墳は全て湮滅している。

浅間神社は,元の所在地とは異なる場所にあるとはいえ,浅間塚古墳が存在したことを物理的に証明する貴重な証拠となっており,その鳥居脇にある石碑は,そのことを示す説明板としての役割を果たしている。

なお,熊野神社の境内地のすぐ北西側付近に「ワラジ塚古墳」があったが,この古墳も完全に湮滅している。


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浅間神社入口付近


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浅間神社の鳥居


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浅間神社の社殿


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境内社(小御嶽神社)
(敷石の由来は不詳)


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境内社(白龍神社)など


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鳥居脇にある石碑
(文面は『野木町史 歴史編』の記述内容とほぼ同じ)


野渡古墳群を構成していた古墳の1つである「御休塚古墳」も湮滅しているが,その所在地と思われる場所(「野木一ノ一会所」の西約100mの畑の中)には石祠があり,その脇に「お休塚」との標識が立てられている。


IMG_7328.JPG御休塚古墳所在地付近


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「お休塚」の表示


雷電神社(栃木県下都賀郡野木町野木)の近くには野渡古墳群を構成する古墳の1つだった「帯屋塚古墳」があったが,完全に湮滅している。雷電神社の境内地それ自体は,帯屋塚古墳の所在地ではない。
この雷電神社は,谷中村から遷座した神社とのこと。
雷電神社の境内地には,三峯神社と水神宮跡のほか多数の庚申塔等がある。

IMG_7473.JPG雷電神社の鳥居


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雷電神社の社殿


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三峯神社


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水神宮跡


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庚申塔など


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古墳由来の石材?


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古墳由来の石材?


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神社移転記念碑


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雷電神社の標識


IMG_7501.JPG雷電神社の境内地


野渡古墳群を構成する古墳だった「神明塚古墳」と「大塚古墳」の所在地付近は道路となってしまっているが,そのあたりにはやけに礫が多い。それらの礫は,古墳由来のものかもしれない。


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「神明塚古墳」と「大塚古墳」所在地付近


野木町史編さん委員会編『野木町史 歴史編』(平成元年)の91頁には,野渡古墳群を構成する古墳所在地の所有者は,全て熊野神社だったことが明記されている。
野渡古墳群を構成する古墳がことごとく破壊され,湮滅してしまったことについて,当時の神官がどのように考えていたのかは全くわからない。

野渡古墳群に関する限り,その原因は不明だが,栃木県教育委員会事務局文化課編『栃木県埋蔵文化財地図』(平成9年3月)の中にある記載(栃木県遺跡番号3797)は,でたらめな内容のものなので,その記載を信用してはならない。
栃木県教育委員会がこのようなあからさまなでたらめを放置し,何も対処しないでいる理由は,全くわからない。



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