佐野市赤見町:蓮沼古墳群(その1)
過日,蓮沼古墳群(栃木県佐野市赤見町)を見学した。
蓮沼古墳群は,元は非常に広い範囲の古墳群を示す名称だったが,現在,佐野市運動公園の北側にある中山に分布する古墳群は中山古墳群(栃木県5316遺跡)として,また,十二天塚古墳所在地の概ね南~南東に分布し,五箇古墳(湮滅)を中心とする古墳群は五箇古墳群(栃木県5319遺跡)として,蓮沼古墳群とは別異に扱う例になっている。
その結果,現在の蓮沼古墳群(栃木県5317遺跡)は,中山古墳群及び五箇古墳群に含まれる古墳を除いた古墳によって構成される古墳群ということになる。
このブログにおいても,栃木県5317遺跡を示すものとして蓮沼古墳群という呼称を使用することにする。
蓮沼古墳群の枝番号を確定する行政決済文書は存在しないが,栃木県教育委員会事務局文化課編『栃木県埋蔵文化財地図』(平成9年3月)の関連箇所,佐野市史編さん委員会編『佐野市史資料第2集 佐野市遺跡所在目録』(1972年)の関連箇所,佐野市史編さん委員会編『佐野市史 通史編上巻』(昭和53年)の150頁の図を総合して検討すると,『佐野市史資料第2集 佐野市遺跡所在目録』の佐野市200遺跡~佐野市211遺跡の合計12基の古墳が含まれる。
栃木県教育委員会事務局文化課編『栃木県埋蔵文化財地図』では,『佐野市史資料第2集 佐野市遺跡所在目録』に記載のない3基の古墳が付加され,合計15基の古墳で構成される古墳群ということになっている。
その付番のあてはめは全く不明なのだが,当初の12基の古墳の付番に付加されたものと推定した。より正確には,もともと正規の枝番号の付番は存在しなかったと理解すべきだろう。佐野市教育委員会における理解と栃木県教育委員会における理解との間に齟齬が存在する可能性もあるが,もしそのような事態が発生する場合,通常,地元自治体の理解が優先するという扱いになっているようだ。しかし,齟齬が著し過ぎる場合,全ての関連資料を総合的に解釈し,独自に判断せざるを得ない。これは,研究者が通常行っている思考と同じものであり,学問研究の自由は当該分野の専門職(大学文学部に所属し考古学を担当科目とする教授等)だけに独占されるものではなく全ての国民に保障された基本的人権の一種なので,日本国の国民である限り,誰でも解釈・判断する権利をもつ。
いずれにしても,元から認識されていた12基の古墳に付加された3基の古墳中の2基の古墳は,佐野市運動公園の南側を東西に走る道路の道路敷にあった地下遺構と推定される。『佐野市史資料集第2集 佐野市遺跡所在目録』が作成された時点では,それらの地下遺構の存在が知られておらず,それゆえ佐野市遺跡番号も付されなかった古墳と推定される。『栃木県埋蔵文化財地図』の図面上では,それら2基の地下遺構の所在地が表示されている。これら2基の地下遺構に関し,このブログ記事では蓮沼13号墳と蓮沼14号墳と推定することにした。
最後の1基(蓮沼15号墳)は,蓮沼4号墳所在地の南側にある少し膨らんでいるように見える場所が該当するのではないかと推定することにした。『栃木県埋蔵文化財地図』の図面上ではその所在地が表示されている。
その他,矛盾する要素が多々存在するので,物理的にあり得ない事実や他の関連資料の記載との間で整合性のない事実等を全て無視し,合理的に解釈することにした。
ただし,個々の古墳の遺跡原簿を見ていないので,確実ではない。あくまでも私的な推理に基づく推定に過ぎない。
蓮沼古墳群の付番を公的に確定するための正規の行政決済文書は存在しないと判断した。もし存在し,かつ,所管部署が任意に公開しないのであれば,情報公開請求により当該決済文書の開示を請求できるはずだ。
以上を前提にして対応関係を示すと以下のとおりとなる。佐野市遺跡番号は1972年当時のもの。括弧内の「D-**」という番号は佐野市遺跡所在目録のための整理番号。
蓮沼1号墳 佐野市200(D-70) 現存
蓮沼2号墳 佐野市201(D-71) 湮滅
蓮沼3号墳 佐野市202(D-72) 湮滅
蓮沼4号墳 佐野市203(D-73) 現存
蓮沼5号墳 佐野市204(D-74) 現存
蓮沼6号墳 佐野市205(D-75) 現存
蓮沼7号墳 佐野市206(D-76) 現存
蓮沼8号墳 佐野市206(D-77) 現存
蓮沼9号墳 佐野市207(D-78) 現存
蓮沼10号墳 佐野市208(D-79) 現存
蓮沼11号墳 佐野市209(D-80) 現存
蓮沼12号墳 佐野市210(D-81) 現存(十二天塚古墳)
蓮沼13号墳 不明
蓮沼14号墳 不明
蓮沼15号墳 不明
以上を踏まえた上で,古墳所在地を示す図示が基本的には相対的な位置関係を示すだけであり,正確な位置を示すものではないと理解した上で,合理的に解釈してあてはめを行い,このブログ記事を書くことにした。
さて,蓮沼1号墳(佐野市200遺跡)は,『佐野市史資料第2集 佐野市遺跡所在目録』では,「円墳?」とされ,消滅扱いになっているが,『佐野市史 通史編上巻』の150頁の図では現存する方墳として扱われており,『栃木県埋蔵文化財地図』では,その所在地が佐野市運動公園野球場の南東側(佐野市市民体育館の北東側)に位置する植木サークル付近として図示されている。そこで,現地に出かけてみることにした。
実物を見てみると,円形の囲いの中に確かに塚状地形が存在する。この塚状地形が佐野市200遺跡(方墳または円墳)に該当するのだろうと推定した。ただし,本来の場所から少しずれた場所に移築・復元された墳丘である可能性は残る。詳細は不明。
南東の方から見た蓮沼1号墳
北の方から見た蓮沼1号墳
西の方から見た蓮沼1号墳
蓮沼1号墳近影
佐野市運動公園管理事務所の南東側には,多段形式の円墳のようなモニュメントがある。このモニュメントのある場所は,古墳の所在地ではないが,その近くに蓮沼3号墳の所在地がある。このモニュメントは,噴水のような施設らしい。ただし,私が訪問したときは運用が停止されていた。新型コロナの関係かもしれない。
蓮沼3号墳(佐野市202遺跡)は,直径15m・高さ2mの円墳だったが,発掘調査後に湮滅している。その発掘調査結果は,青木健二編著『栃木県佐野市蓮沼3号墳』(日本窯業史研究所,1981年)にまとめられている。
円墳のようなモニュメントと蓮沼3号墳所在地(右奥の緑地付近)
蓮沼3号墳所在地付近
蓮沼2号墳(佐野市201遺跡)は,蓮沼3号墳のすぐ西側にあり,直径10m・高さ1.3mの円墳だったが,現在では完全に湮滅している。
もっとも,仮に現存していたとしてもほとんど誰も気づかない地膨れ程度のものにしか見えなかっただろうと思う。
蓮沼2号墳所在地付近
佐野市運動公園の案内図
一見古墳のように見えるロータリー
佐野運動公園南側の道路
(道路敷が蓮沼13号墳と蓮沼14号墳の所在地?)
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