佐野市田沼町:愛宕神社と古墳(その2)
過日,愛宕神社(埼玉県佐野市田沼町)を参拝した。祭神は,屋船久々能智大神・屋船豊受姫大神・手置穂負大神・彦狭智大神。
愛宕神社の社殿は,山の頂上よりも少し低いところにあるのだが,社殿~頂上付近は,現在では湮滅してしまったとされる「愛宕山古墳」と呼ばれる古墳の所在地とされている。
栃木県安蘇郡田沼町町史編さん委員会編『田沼町遺跡所在目録』(昭和58年3月)の1頁には,「愛宕山古墳」に関し,「立地 現状」の欄に「山頂 山林 神社」と記され,「備考」の欄に「安政年間(1854~1860年)に消滅 『田沼町郷土誌』明治44年」と記されている。要するに,愛宕神社の社殿を造営し,多数の庚申塔を立てるために安政年間に愛宕山古墳が破壊されたということを言いたいのだろうと思う。
愛宕山古墳が存在した場所の詳細は不明なので,本当に湮滅したのかどうかを確認しようもないのだけれども,ざっと見渡したところ,山の頂上が古墳の残存墳丘であり,そのようなものとして古墳が現存しているように見えた。山頂の少し下に供養塔のようなものがある。
もし山頂付近が愛宕山古墳の所在地ではないとすれば,社殿東側にある複数の塚状地形のある場所も該当し得るのではないかと思った。ただし,塚状地形の部分が古墳に該当するのではなく,古墳の主体部付近を完全に掘削し,石材等を抜き取った結果,古墳の墳丘周辺部だけが残骸的に残り,現況ではそれらの断片的な残骸部分が小さな塚状地形のようになっているのかもしれないと思った。
愛宕神社の拝殿前から見渡せる景色はとても素晴らしいものなので,愛宕山古墳の被葬者は,見渡せる範囲の土地の支配者であったかもしれない。
可能な限り精密な再調査を試みる価値はあるのではないかと思う。少なくとも地下遺構の一部が残されている可能性はある。
参拝を終えた後,登って来た階段ではなく緩やかな道路を歩いて山を下った。下った先は,田沼総合運動場・軟式野球場の北側にある小さな墓地区画付近だった。この道路は簡易舗装道路となっているけれども,一般車両の通行は禁止されている。
南西の方から見た社殿
社殿東側にある塚状地形部分とその上にある多数の庚申塔
同上
同上
同上
同上
本殿の上の方にある庚申塔
一番上にある庚申塔
山頂付近にある供養塔
山頂
山頂付近から見た社殿
東の方に下る道
山を下る途中で見えた景色
展望台
立入禁止の表示
下り道
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