佐野市下彦間町:正光寺・正光寺城跡・正光寺古墳群(その2)

過日,真言宗大日派・大塚山正光寺(栃木県佐野市下彦間町)を参拝した。

正光寺の境内地は,正光寺城跡遺跡(栃木県遺跡番号5029)となっている。
また,正光寺の境内地は,正光寺古墳群(栃木県遺跡番号5019)という12基の円墳(うち6基は既に湮滅)で構成される古墳群の所在地ともなっている。
栃木県教育委員会事務局文化課編『栃木県埋蔵文化財地図』(平成9年3月)では,正光寺の境内地をぐるりと取り囲むようにして正光寺古墳群の古墳が分布しているように図示されているが,これは古墳群の範囲を示すという意味しかなく,実際の古墳の所在地とは完全に無関係な図示。
佐野市史編さん委員会編『佐野市史資料第2集 佐野市遺跡所在目録』(1972年)の中には正光寺古墳群が含まれていない。佐野市郷土博物館編『佐野の古墳と埴輪』(平成29年)にも正光寺古墳群が含まれていない。

結局,栃木県安蘇郡田沼町町史編さん委員会編『田沼町遺跡所在目録』(昭和58年3月)の中にある記述しか頼りにならないので,その記述に基づいて見学することにした。

『田沼町遺跡所在目録』の16頁には「正光城跡」の記述があり,「立地 現状」の欄には「台地 墓地」と,「遺構 遺物」の欄には「堀切 曲輪 土塁」との記述がある。一般的には,正光寺境内地の北東側に位置する台地上の最も高い部分のことを指すと理解されており,確かに,その場所には堀切と曲輪跡と土塁がある。しかし,西側土塁の南側~西側にも曲輪と土塁のような地形が続いており,おそらく,かつては正光寺の現在の堂宇と墓地区画のある場所まで続いていたと推定できる。つまり,正光寺の境内地全体が城跡だと理解するのが正しい。

他方,『田沼町遺跡所在目録』の15~16頁には正光寺古墳群の1号墳~12号墳に関する詳細な記述がある。この記述に基づいて検討してみた結果,1号墳(直径15m・高さ2.8mの円墳,石室閉塞部が一部露出),2号墳(直径20m・高さ2.3mの円墳,埴輪出土),9号墳(直径20m・高さ2.5mの円墳,墳丘上に天満宮を祀る)の3基は,確実に同定できた。6号墳(直径11m・高さ1.3mの円墳,玄室が露出)は,正光城跡の虎口と思われる部分の西側の土塁が該当すると一応推定できた。
これら合計4基以外の古墳は,確定できないのだが,その所在地ではないかと疑われるような場所が数カ所存在した。
例えば,聖観世音菩薩堂前の手水付近(4号墳由来?),聖観世音菩薩堂の背後にある石材(12号墳由来?)などがそれに該当する。
また,墓地区画には石材が多数見られるので,きっと古墳があったのだろうと思われるが,現在では正確な場所や規模等が全くわからなくなってしまっている。

正光寺の樹木葬の区画(阿弥陀如来がある場所)の北側には明確に認識可能な墳丘が2基並んでいる。その場所は,正光寺の庫裏の庭のような場所にもなっている。2基の古墳中の西側のものが1号墳,東側のものが2号墳に該当すると判断した。なお,2号墳の墳丘の現況はナメクジのような形状をしており,前方後円墳のように見えるけれども,円墳とされている。


IMG_5395.JPG南の方から見た1号墳


IMG_5382.JPG
南西の方から見た1号墳


IMG_5386.JPG
西の方から見た1号墳


IMG_5394.JPG
墳丘上の石碑と石材


IMG_5397.JPG
南西の方から見た2号墳


IMG_5400.JPG
南の方から見た2号墳


聖観世音菩薩堂の背後は少し削られたような感じになっているのだが,その場所に石材が露頭している。12号墳の石室材かもしれないと思ったけれども,確実ではない。


IMG_5560.JPG
聖観世音菩薩堂背後地


IMG_5559.JPG
石室材と思われる石材の露頭(12号墳?)


聖観世音菩薩堂の少し上の方にちょっとした塚状地形がある。単なる土塊に過ぎないのかもしれないが,土塁跡または古墳の残骸かもしれないと思った。


IMG_5432.JPG
聖観世音菩薩堂の北側にある塚状地形部分
(墳丘残骸または土塁残骸または単なる土塊)
(古墳だとすれば墳丘一部残存とされている10号墳?)


歴代住職の墓所のある場所の少し上の背後地には9号墳がある。9号墳の墳頂には天満宮が祀られており,その鳥居が建てられている。


IMG_5405.JPG
南の方から見た9号墳


IMG_5409.JPG
9号墳の墳頂にある天満宮



IMG_5439.JPG
東の方から見た9号墳


一般的にはそのようには理解されていないけれども,墓地区画の南側及び東側にも城跡の一部ではないかと思われるような地形部分があった。可能な限り精密な再調査が必要なのではなかろうか。


IMG_5444.JPG
境内地の北東側に下る小路


IMG_5446.JPG
小路の下から見える景色
(廃業した事業所敷地跡地?)


IMG_5448.JPG
下の方(東側)から見上げた小路


IMG_5449.JPG
小路と交差する正光寺城東側外周堀跡と思われる地形部分


これらの遺跡を見学した後,佐野宗綱とその将士の墓所のある場所を通り,更に登って,正光寺城跡の主郭のある場所を見学した。


IMG_5451.JPG
「佐野宗綱公並に将士の墓」の標識


IMG_5452.JPG
現在の墓地区画北東端付近
(左手(南側)の崖下に堀があったものと推定される)
(右手前の礫は古墳(11号墳?)由来のものかもしれない)


IMG_5458.JPG
佐野宗綱と将士の墓所
(左奥は9号墳)


IMG_5460.JPG
佐野宗綱と将士の墓所所在地付近から見上げた正光寺城跡の虎口付近



この記事へのコメント