ガガイモの花
先日,山地を散策中,水田縁の路傍の草にガガイモ(Metaplexis japonica)の蔓がからみつき,花を咲かせているのを見た。早速写真を撮った。
ガガイモに限らず,どの植物も子孫を残すためにありとあらゆる努力を尽くしている。
これに対し,人類は,繁殖それ自体の本質的欲望を喪失し続けているようにも見え,もしそうであるとすれば,滅亡を免れない種ということになるのだろう。
「ヒト」は,生物としての本質を外れ,去勢された食肉用家畜のような存在となりつつある。
あくまでも一般論だが,観念論としての平等主義が徹底すると,他者を排除した独占的支配の欲望が禁圧され,少なくとも社会内ではそのような欲望を実現することが生存にとって却って不利になる結果,他者を排除した独占的支配の欲望をもつような形質を発現させる遺伝子をもつグループが相対的に抑制され,消滅に向かう結果,自然界全体との関係では逆に生存能力をどんどん弱めることになる。本来,自然界における「生存」とは「弱肉強食の中で他者を排除して自分だけは生存する」という本質をもっているので,観念における「理想」は,自然状態における「生存」と本質的に矛盾することになる。
このことそれ自体は,トマス・ホッブスやジャン・ジャック・ルソーの時代から明確に認識されていたことなのだが,(世界全面核戦争による絶滅の可能性を含め)人類の大部分が本当に本質的な危機と直面するのは,現代が初めてかもしれない。トマス・ホッブスやジャン・ジャック・ルソーの時代と異なる点は,誰も新たな哲学を提案することができないということに尽きる。
無論,狂信的または詐欺的なカルトや政治的イデオロギーは存在する。しかし,それらは,全て特定の個人またはグループの経済的利益を極大化するための装置的(手段的)な社会的仕組みの一種に過ぎず,本質的に,哲学とは完全に無縁である。
この記事へのコメント