熊谷市西別府:幡羅官衙遺跡群の関連遺跡

過日,幡羅官衙遺跡群の正倉院跡及び事務官衙域の所在地付近を見学した後,それらの所在地の東の区域(埼玉県熊谷市西別府)にある関連遺跡所在地等を見学した。
この区域には西別府廃寺の遺跡もあるとされているが,その中枢部分の現況は,「特別養護老人ホーム 永寿苑」の敷地となっている。古代の国営寺院の機能として,積極的な仏教普及のための施設という面だけではなく,もしかすると貴族階級(支配階級)のための引退後の養老院的なものであったかもしれないといつも思っている。だから,例えば,国分寺では男性用の僧寺と女性用の尼寺が必要になる。古代において,非常に裕福な支配階級では,現代において考えられているような意味での女性差別は存在せず,もしかすると(他の勢力との間の戦闘状態の下にある場合を除き)女性の方が男性よりも強かったかもしれない。古代の戸籍記録の中には,女性の戸主と推定し得るものが多数存在する。だから,男性用の僧寺だけではダメなのだ。
そして,古代においては,人々は一般的には短命だったと推定されているけれども,支配階級だけは別で,栄養状態が良いので,必然的にかなり長寿となる。しかし,一般に,老人がいつまでも一族支配の実権を握っていると,ろくなことがない。戦国時代には武田信玄とその父・武田信虎の例がある。だから,強制的に出家させ,引退させるような何らかの社会的仕組みが存在した可能性がある。この点は,今後の研究課題なのだが,そのようなテーマに関して学術研究しようとすると,必然的に徹底した妨害が入り得るということを危惧する。なぜなら,研究結果次第では,超高齢者の会社経営者や政治家等が困ることになるからだ。

それはさておき,場所が場所なので,老人ホームの敷地内には接近しないように気をつけながら,見学可能な場所だけ見学した。


IMG_2261.JPG西別府観音堂


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観音堂境内の地蔵菩薩


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観音堂境内の青面金剛明王


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観音堂境内の供養塔


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観音堂境内の供養塔


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観音堂境内の六地蔵


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観音堂前を通る道


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庚申塔


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石祠



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西別府館址


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西別府廃寺所在地付近?


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別府沼公園南西端付近の水路と堤防



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現代の人工的な湧水地点


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水路


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水路にかかる橋



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