千葉県香取郡神崎町本宿:神崎神社とその周辺(その1)
過日,神崎神社(千葉県香取郡神崎町本宿)を参拝した。祭神は,天鳥船命・少彦名命・大己貴命。面足命・惶根命を配祀している。
『三代實録』の「陽成天皇」の代の授位の事跡にある東海道下總國・子松神(小松神)に比定されている。
元は,常陸國と下總國の境にある「大浦沼二つ塚」というところに鎮座していたが,白鳳2年に現在の鎮座地に遷座したとのこと。「大浦沼」の所在地は不明。類似の地名としては,千葉県匝瑳市に「大浦」という地名があるけれども,常陸國と下總國の境に位置していない。茨城県内では,旧地名として「常陸川大沼浦」がある。正確な場所は不明だが,現在の「外浪逆浦」付近のことを指すと解される。そのあたりは過去においても現在においても海(汽水)または川なので,「二つ塚」に相当し得る高塚を造営し得る場所が限られている。強いて言えば,(江戸時代までの利根川の流路が現在とは異なっており,「三之分目(三ノ分目)」が大浦沼(現在の外浪逆浦)の西岸に位置していたと推定されることから)三之分目大塚山古墳がその「二つ塚」に該当し得るのではないかとも考えられるものの,確証はない。
神崎神社の鳥居から石段を登ると,小山の頂上のような場所に出る。神崎神社の駐車場脇にある境内案内板の表示によると,この小山の頂上付近には金毘羅宮と愛宕神社が向かい合っていることになっている。実際に訪問してみると,「金刀比羅宮」はあったけれども,愛宕神社の所在はよくわからなかった。石祠があったので,それが愛宕神社に該当するのかもしれない。
神崎神社の境内地は,全体として,巨大な前方後円墳のような形状をしており,鳥居から石段を登ったところにある小山が前方部のような位置づけとなる。ここから後円部に相当する場所にある本殿を礼拝するという趣旨なのだろうか。
神崎神社の境内地となっている山は,前方後円墳ではなく自然地形だろうと思われるけれども,古代の人々が巨大な前方後円墳に見立てて境内地としたことは想像に難くない。
旧地名が「小松村字神崎」であり,その「双生山」が鎮座地であり,この山は,「ひょうたん山」,「双子山」等とも呼ばれているということもその証左となる。
あくまでも一般論だが,各地の古い神社を参拝して回っていると,このように巨大な前方後円墳に見立てることのできるような形状の自然の山を鎮座地としており,しかも,その頂点には本当に古墳が存在する例が多数ある。神崎神社もまた,かつては社殿所在地付近に古墳があったのかもしれないというような印象を受けた。
神崎神社の境内地には,とても立派な社殿があり,そして,「ナンジャモンジャ」と呼ばれている徳川光圀ゆかりの非常に有名な楠の木がある。
神崎神社の境内地の北側縁は,細長い土塁のような形状をしている。元は円墳のような形状の山の中心部分を削ったのでこのような形状になってしまったのか,あるいは,鎌倉時代~戦国時代頃に館または砦として利用するために土塁を構築した名残りなのか,よくわからない。
以上に加え,神崎神社には,神崎神社文書と呼ばれる極めて貴重な史料が保存されている。
いずれにしても,古代から現代までの歴史がいっぱい詰め込まれた神社であることは否定しようがない。
鳥居
左側の狛犬
右側の狛犬
石段
金刀比羅宮鎮座地
金刀比羅宮
金刀比羅宮脇の石祠
金刀比羅宮脇の石祠
金刀比羅宮の手水
小山の頂上から見下した石段と鳥居
愛宕神社鎮座地付近
愛宕神社鎮座地付近にある石祠
小山の上から中段参道の方を見た様子
中段参道付近から振り向いて見上げた小山付近の様子
道標
関東ふれあいの道の案内板
(地図の記載内容はすこぶる不正確)
中段参道奉献碑
寺田憲「新酒のかをりよろしく」と「咲く花の香取とふ酒くむ人は」の歌碑
中段参道から振り向いて見た鳥居上の小山の方の様子
中段参道の三峯神社
中段参道から見た神崎神社社殿前の石段
神崎神社の説明板
石段
左側の狛犬
右側の狛犬
手水
神崎神社拝殿
神崎神社本殿
四阿
神崎森の説明板
神崎森(一部)
神崎神社文書の説明板
玄松子:神崎神社
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