南相馬市小高区片草:南原古墳群(片草南原古墳群)の所在地

過日,南原古墳群の所在地(福島県南相馬市小高区片草)の所在地を見学した。南原古墳群は,市町村合併前の小高町当時における呼称と推測され,南相馬市の遺跡調査結果報告書等の中では「片草南原古墳群」と表記されている。

福島県相馬郡小高町教育委員会編『小高町史』(昭和50年12月)の50頁によれば,南原古墳群は,6基の古墳で構成され,それらの中で最大の古墳は,直径20m・高さ4mの古墳とされている。そして,福島県教育委員会編『福島県遺跡地図 浜通り地方』(1996年3月)によれば,南原古墳群の所在地は,小高片草運動場のある台地上の南縁に長さ約300mの範囲で細長く続いていることになっている。
南相馬市教育委員会編『南相馬市埋蔵文化財調査報告書10 南相馬市内遺跡発掘調査報告書4-平成19年度試掘調査報告-』(平成20年3月)の49頁には,片草古墳群の南原支群として12基の湮滅古墳の所在地が示されている。この片草古墳群南原支群の分布範囲は,上記の『福島県遺跡地図 浜通り地方』の中に示されている分布範囲とは重複しておらず,古墳の数も一致しないので,南原古墳群(片草南原古墳群)とは異なる古墳群の所在地を示すものと考えられる。

現地を訪問してみると,南原古墳群の所在地は,畑の奥にあるため,近くに寄ることができなかった。公道から見える範囲で見学したところ,株式会社ダイコウの南東約80mのところに,最大の古墳とされている円墳と思われる比較的大きな高塚があるのを確認できた。その高塚が南原古墳群中で最大の円墳に該当するのだろうと思った。
ただし,私が見た高塚のようなものは,区画整理事業に伴う残土の土塊であるかもしれず,もしそうであるとすれば,当該古墳は既に湮滅しているのかもしれない。

南原古墳群を構成する他の5基に関しては,土地区画整理に伴って湮滅したのではないかと想像されるけれども,精研舎の南にある送電線鉄塔の南~南東に細長く残された残地のような部分がその所在地に該当するのではないかと思う。ただし,畑の中にあるため近くまで寄っておらず,古墳所在地であるかどうかは確実ではない。
なお,『福島県遺跡地図 浜通り地方』では,古墳群所在地の範囲だけが示されており,個別の古墳の所在地の表示がないので,1996年当時において既に,南原古墳群を構成する古墳の全部または大部分が削平されていた可能性がある。

IMG_1399.JPG南原古墳群で最大の円墳と思われる古墳
(北西の方から見た様子)


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同上(ズーム)


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同上
(北の方から見た様子)


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同上
(北東の方から見た様子)


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他の古墳の所在地と思われる場所付近
(北西の方から見た様子)


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同上
(北東の方から見た様子)


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同上
(東の方から見た様子)


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片草古墳群南原支群所在地(片草運動場の南~南東)付近
(現況は墓地)


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小高片草運動場


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