相馬市坪田:高松古墳群(その1)
過日,都玉神社(福島県相馬市坪田)を参拝した際,高松古墳群の一部を見学した。ここで「一部」というのは,この古墳群には数十基の古墳が含まれていることが知られておりながら,これまで精密に記録化されたことのある古墳は,墓地区画の中にある高松1号墳だけだからだ。
高松古墳群を構成する古墳は,同社裏の山の頂上付近を西端として「天ヶ沢」の北西付近まで続く細長い尾根上に分布していることになっている。高松古墳群を構成する古墳には,高松1号墳を除き,識別のための番号が振られているわけではなく,古墳分布図も存在しない。そのため,高松古墳群の詳細がまるでわからない。このことは,相馬市史編さん委員会編『相馬市史4 資料編Ⅰ 原始・古代』(平成27年)の725頁に明記されている。
そういうわけで,所在地がわかっている高松1号墳だけでも見学できれば良いというくらいの気持ちで訪問したのだった。
ところが,高松横穴墓群所在地を見学した際,「もしかすると連続した古墳群かもしれない」と思い,相馬都胤墓所(廟所)の上にある山頂付近及びその周辺の尾根道まで登ってみたところ,果たして,そこにも複数の古墳のようなものがあるということを知ることができた。ここで「複数」と表現しているのは,完全に未調査古墳であるため,古墳の詳細が全くわからないからにほかならない。
最西端の古墳様の塚状地形部分に関しては,もしそれが前方後円墳であるとすれば1基であるし,連続した円墳であるとすれば2基ということになる。尾根上には他にも複数の古墳様の塚状地形部分がある。
山頂に登る小路は,相馬都胤の墓所(廟所)である円墳様の塚の奥(北東側)にある。その小路を少し登ると尾根道に到達する。尾根道は東の方にも続いているのだが,少し進んでみたら急な下り坂となっており,単独で行動するのは危険だと判断したので,そちらの方に行くのは断念した。尾根の西端部分までの距離は比較的短いと推定されたので,周囲の危険の有無を判断した上で,尾根道の西端の方に向かった。
尾根の西端付近にあった古墳のように見える塚状部分は,無残にも盗掘を受け,あちこちボロボロになっている。発掘調査結果はおろか測量調査結果も存在しないようなので,とりあえず2基の円墳が存在するという前提でこのブログ記事を書くことにするが,円墳だと確定することもできないので,やはり塚状部分と表現するしかない。便宜上,東側の円墳様の部分を「塚状部分I」とし,西側の円墳様の部分を「塚状部分J」として記載することにする。
なお,尾根道上には円墳だろうと推定される塚状部分や,既に破壊された古墳の残骸ではないかと思われる地形部分があったけれども,発掘調査をしていないので何とも言えない。このブログ記事上では,便宜上,「塚状部分K」等と記載することにする。
尾根道の一部
尾根道の一部(塚状地形Kの真上?)
円墳のように見える塚状部分L
塚状部分Mの中央付近が山城の堀切のようになっている尾根道
東の方から見た尾根の西端付近
東の方から見た塚状部分I(左手前)と塚状部分J(右奥)
塚状部分Iの北東側にある盗掘痕?
塚状部分Jの墳丘上にある盗掘痕?
尾根道から見た相馬都胤の墓所(廟所)所在地付近
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