相馬市坪田:都玉神社

過日,涼ヶ岡八幡神社(福島県相馬市坪田涼ヶ岡)を参拝した後,都玉神社(福島県相馬市坪田高松)を参拝した。祭神は,相馬昌胤の子・都胤。相馬昌胤の霊と大貴己命も合祀されている。
「都玉」とは「都胤の霊」を意味し,社殿脇の尾根道を登ったところに相馬都胤の墓所(廟所)がある。この廟所が都玉神社の奥宮に相当すると考えられる。

相馬都篤の墓所(廟所)の所在地は,高松横穴墓群の範囲内に含まれると考えられる。この点に関しては,高松横穴墓群との関連があるので,別の記事として書こうと思う。
ただ,武家社会の時代においても支配階級の墓所が円墳様の塚として造営される例があったことは,銘記されるべきだと思う。
一般に,古墳時代の古墳ではなく後代の塚だというだけの理由により,どんどん掘削・消滅させられてしまう遺跡が全国に数えきれないほど多数ある。しかし,そのようにして消えていく塚の中には日本史の教科書や歴史小説等の中で名前が出てくるような有名な武将の墓所だった場所が含まれているかもしれない。

都玉神社と同様,武家の時代に実際に生きた支配者またはその家族の霊を祖神として祀る神社の例としては,例えば,懐古神社(長野県小諸市丁)がある。
古代においても,朝廷の命により各地に侵攻・屯田した武人支配者の霊を祖神として祀る神社が多数あり,その祭祀場所としての基本形は古墳そのものだったと推測される。
一般に,横穴式石室の礼拝場所・羨道・玄室・石室の論理的配置構造は,現代の一般的な神社の拝殿・拝殿と本殿との間の通路部分・本殿・御神体という論理的配置構造と一致している。
現代においてもなお,古墳そのものを神社として崇敬・礼拝する例としては,初代印波国造伊都許利命の墓所とされている伊都許利神社(千葉県成田市船形)がある。

都玉神社の社殿は,吉田神道の様式(拝殿と本殿とが一体となった建築様式)を現代に伝える貴重なものとされており,相馬市の文化財に指定されている。
都玉神社の鳥居を入ったところにある石垣のある参道が室町時代~戦国時代の城の馬出にある桝形にも似たような形状をしているので,涼ヶ岡八幡神社の場合と同様,いざというときのために山城の機能を果たすように設計された神社なのではないかと思う。

都玉神社を参拝し,本殿裏にある横穴墓の残骸を拝見した後,境内周辺地を拝見するために尾根道を登り,相馬都胤の墓所で合掌し,その周辺を見学した。
それらの見学を終えて社殿の前に戻ると,境内社(子安神社)で神官による祈祷の最中だった。その祈祷の邪魔にならないよう,静かに礼拝した上で辞去した。

なお,都玉神社の鳥居の脇に別の神社がある。氏神かもしれないとは思ったけれども,敬意を表する趣旨で参拝した。

IMG_0978.JPG都玉神社手前の踏切付近から見える景色


IMG_0979.JPG都玉神社入口近くにある踏切

IMG_0984.JPG都玉神社境内地の南西側~西側を通るJR常磐線の線路


IMG_0985.JPG神社入口付近


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都種神社の鳥居脇にある別の神社(社名等不詳)


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都玉神社の鳥居


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都玉神社の参道


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都玉神社の参道(続き)


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手水


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都玉神社の参道脇の池
(古墳石室の一部のような雰囲気をもつ石材が露頭している)
(池の向こうは境内地を囲む土塁の一部または古墳の残骸かもしれない構造物)


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池の中の石材


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都玉神社の社殿前の鳥居と石段


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都玉神社の境内地
(石畳の石材は古墳由来のものである可能性あり)


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都玉神社の社殿
(石段の石材は古墳由来のものである可能性あり)


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都玉神社の説明板


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境内社(子安神社)


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子安神社の説明板


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境内地の土塁または古墳残骸


相馬都胤の墓所(御廟)への通路は,社殿左側(北西側)にある境内社付近から標識に従って尾根道を50mほど登ったところにある。途中に古墳の墳丘またはその残骸と思われるものが多数見られるが,この点に関しては別の記事に書こうと思う。
尾根道を進むと,神社裏の山の中腹(南面)を大規模に掘削した場所に出る。掘削して構築された平坦面の真ん中に円墳のようなものがある。これが廟所とされている。相馬都胤の遺骸は石室に埋納されているということになっているので,この塚の中に石室があることになる。ただし,どこにも開口していないので開口部が埋められているということなのだろう。
あくまでも素人の空想に過ぎないが,石室は塚のある地面の高さよりも深いところにある古代の石室を二次利用したものであるかもしれない。
また,この廟所の説明板が立てられている場所のすぐ近くに石室が開口している。つまり,廟所を造営するために開鑿された場所よりも深い地中に複数の石室が眠っている可能性がある。地下レーダー等の非破壊的考古学調査を実施するだけの価値はあると思われる。
無論,開鑿されてしまった部分にも古墳の石室があったのだろうが,それらの石室は既に失われてしまっている。

要するに,この墓所(御廟)のある場所は,古来,この地の支配者の墓所だった場所であり,(母系を介した血筋を含め)相馬氏の祖とも何らかの関係をもつ神聖な場所だったのではないかと想像する。

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境内社
(古墳石室所在地だった可能性あり)


IMG_1028.JPG墓所(廟所)所在地に登る尾根道入口付近


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尾根道の一部
(円墳の墳丘,横穴墓造営残土の土塊または土塁跡の直上である可能性あり)


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尾根道から見た境内地


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尾根道とその周辺のコブ状地形


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尾根道の半分くらいの地点から下のほうを見た様子


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墓所(廟所)所在地入口付近


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墓所(廟所)の標柱


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説明板


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西の方から見た廟所となっている塚


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東の方から見た廟所となっている塚


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廟所となっている塚の近影


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廟所の説明板のすぐ近くの地面にある古代の古墳の石室開口部と思われる場所


  相馬市:都玉神社の本殿

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