佐久市田口:新海三社神社境内地所在の古墳群(その2)

過日,新海三社神社境内地所在の古墳群(長野県佐久市田口)を見学した。
新海三社神社境内地所在の古墳群は,新海神社東御陵古墳,新海神社中御陵古墳,新海神社西御陵古墳及び新海神社新発見古墳の4基の古墳で構成されている。
全体の位置関係としては,新海三社神社境内の三重の塔の裏(北側)の斜面の中に新海神社東御陵古墳,新海神社中御陵古墳及び新海神社新発見古墳があり,新海神社西御陵古墳は,福田稲荷神社から更に西の方の離れた尾根上に所在している。これらの古墳及び関連古墳全体の配置図は,臼田町誌刊行会編『臼田町誌 第3巻 考古・古代・中世編』(平成19年)の173頁にある。

新海神社中御陵古墳は,新海神社東御陵古墳の更に奥にある。現況の容姿としては最も威厳に満ちた古墳なのではないかと思う。
新海神社中御陵古墳は,墳丘径南北10.5m×東西8.5m・高さ1.2m,玄室は2.0×1.5m,羨道は1.4×0.7mとされている。盗掘のため出土物がわずかだったけれども,鉄鏃等の特徴から6世紀の古墳とみられている。
新海神社中御陵古墳の現在の墳丘と石室は,発掘調査後に復元・整備されたもの。復元・整備される前の状態の写真は,臼田町誌刊行会編『臼田町誌 第3巻 考古・古代・中世編』(平成19年)の178頁にある。

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新海神社中御陵古墳の石室開口部


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南の方から見た新海神社中御陵古墳

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南東の方から見た新海神社中御陵古墳


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西の方から見た新海神社中御陵古墳


新海神社西御陵古墳は,昭和62年の遺跡調査の際に発見された古墳とのこと。
新海神社西御陵古墳の所在地は,福田稲荷神社の更に西の方となっている。福田稲荷神社の前を東西に走る小路を西に向かって進むと,ほどなくして南斜面を下るカーブとなる。そのカーブの場所から北側~北西側の尾根を見上げると,新海神社西御陵古墳の所在地が見える。
新海神社西御陵古墳は,発見時には墳丘のない古墳だったようだ。現在の墳丘は,発掘調査後に復元・整備されたもの。石室は埋め戻されており,開口していない。発掘調査時点における新海神社西御陵古墳の写真は,『臼田町誌 第3巻 考古・古代・中世編』の174~176頁にある。素晴らしい石室の写真が残されている。
新海神社西御陵古墳からは,小刀(全長29cm),刀子,耳環,大量の鉄鏃のほか,少なくとも2体分の遺骨と臼歯が発見された。追葬が行われた可能性がある。

なお,新海神社西御陵古墳の所在地となっている尾根上には古墳由来と思われる石材がある。ヤックラと呼ばれる古墳由来の石材を集めた積石のようなものと思われる場所もあった。ちゃんとした調査が実施されたか否かは不明なのだが,たぶん,何らかの遺跡がある。


IMG_3643.JPG福田稲荷神社前を西の方に進む小路


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西の方から見た小路がカーブになる場所
(中央奥が福田稲荷神社前)


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道がカーブになる場所付近から見える景色(三分~入沢方面)


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道がカーブする場所付近から見た北側尾根


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尾根上を北の方に向かって登る


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新海神社西御陵古墳の所在地付近


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南の方から見た新海神社西御陵古墳


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周溝?


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尾根上の林内の様子



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