佐久市田口:中原古墳群

過日,中原古墳群(長野県佐久市田口)を見学した。
中原古墳群は,外九間古墳群の南に位置しており,3基の円墳で構成される古墳群だったが,現時点においては,3号墳が開発により湮滅し,その所在地が工場敷地となっているため,1号墳と2号墳の2基だけが残されている。

中原1号墳は,現存墳丘径南北11.5m×東西5.7m・高さ1.1mの円墳であり,玄室は3.6×2.4m,羨道は2.0×1.2mとされている。
中原1号墳の所在地は新海神社の社地となっている。
私が訪問した時には墳丘上でフジの花が満開の状態だった。

中原1号墳の発掘調査の結果,少なくとも4~5名分の人骨が発見され,そのことから平安時代まで追葬が行われた古墳だと考えられている。
中原1号墳の被葬者は武人とその子孫なのだろう。平安時代まで比較的長い期間にわたって追葬が行われたと推定されることから,中原1号墳の被葬者達が朝廷及び律令体制とかなり密接な関係のある者であることは疑いようがない。
朝廷の命令で派遣され屯田した武人官吏とその子孫なのかもしれない。
一般に,古代における武人と官吏が同一人であるということを想像することが難しい人がいるようだが,例えば,江戸時代においても主要な官吏は全て武士だったので,古代においても官吏=武人(武士)だったということはあり得ることであり,むしろ,自然なことではないかと思われる。現代の民主主義国におけるようなシビリアンコントロールの下にある軍隊または国防組織のようなものだけを想定して古代における支配・統治の実際を想像すると,完全に誤る。

なお,中原1号墳の北側に隣接して古墳のように見えないこともない低い塚状の地形部分がある。この部分は,何らかの信仰施設または墓地の一種だったのかもしれないが,(例えば,中原3号墳のような)近隣にあった古墳由来の石材を集めた場所だったのかもしれない。しかし,確実な資料がなく,よくわからない。


DSC02416.JPG東の方から見た中原1号墳の所在地



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南の方から見た1号墳


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1号墳の開口部右脇にある石材


DSC02419.JPG1号墳の石室内の様子


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西の方から見た1号墳


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北の方から見た1号墳


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北東の方から見た1号墳


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1号墳の北側にある塚状地形部分周囲にある石材


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1号墳の北側にある塚状地形部分にある大きな石材


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塚状地形の西側に続く土塁様の地形部分(北側)


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塚状地形の西側に続く土塁様の地形部分と巨大な岩(南側)


中原2号墳は,1号墳の西側に隣接している。
中原2号墳は,現存墳丘径南北9.0m×東西8.5m・高さ1.3mの円墳であり,玄室は3.2×2.0m,羨道は1.7×1.0mとされている。
発掘調査の結果,小刀(全長38.5cm),刀子,刀装具等のほか,少なくとも2体分の遺骨が発見されている。平安時代前期頃まで追葬が行われたと推定されている。被葬者は武人とその子孫なのだろう。


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西の方から見た2号墳(左手前)と1号墳(右奥)


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南の方から見た2号墳


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2号墳の石室開口部付近


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北の方から見た2号墳


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南西の方から見た2号墳



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