結城市結城:峯崎遺跡

過日,峯崎遺跡(茨城県結城市結城)を見学した。
峯崎遺跡は,鹿窪運動公園の北東側隣地にある。遺跡内への入口は,遺跡敷地の南西側(かなくぼ総合体育館側)にある。峯崎遺跡の近くには,富士浅間塚古墳(湮滅)と保戸塚古墳がある。
峯崎遺跡は,縄文時代,弥生時代,奈良時代~平安時代の複合遺跡であり,特に平安時代の大規模集落遺跡として有名な遺跡の1つとなっている。

一般に,古代の集落遺跡は,(学術的にも技術的にも予算的にも非常に大きな問題が山積しているので)集落が復元・展示されることがない。現実問題として,集落遺跡の大部分は,開発の中で発見されており,発掘調査後には消滅してしまうのが普通だ。
それゆえ,遺跡それ自体が保存されているということそれ自体に非常に大きな価値がある。また,遺跡の範囲に属する一定の土地が保存されることにより,周囲の景観が変わってしまっていても遠くにどのような山河を目にすることができるのかを知ることができ,そのような実体験が古代の地政学上の感覚・感性を惹起させる絶好の契機となり得る。このような三次元的な感覚は,現地で実際に立ち,四周を見渡してみなければ実感できないものだ。その実感は,VRやARのようなデジタル技術ではカバーし切れない多種多様な大量の情報要素を包含するものだ。それを一気に体得することができる。
峯崎遺跡所在地の現況は,復元家屋等が林立しているわけではなく,発掘調査によって発見された建物(第68号竪穴式住居)の柱と竃の復元物が設置され,休憩所の建物(掘立柱式建物の復元物)が建てられているだけで,それ以外は単なる土地に過ぎない。
しかし,その復元物や休憩所の容積を体感した上でそれらの建物がどのような密度で建築されていたかを想像すれば,その土地の人口密度や賑やかさのようなものを順に想像することもでき,そして,そのような集落を成立させるための必須の素材(建築用材・食糧等)をどこから,どのようにして確保し,維持・管理したのかを想像するような集落または都市の動的な構造理解を得る段階に至ることができる。
個々の建物の屋根や壁の構造や建築要式・備品等の細部は,現代ではわからなくなってしまっている部分が多く,想像に任せるしかない。このことは,古代の遺跡に限定されることではなく,現代の普通の建物でも完全に同じだ。
例えば,現代の高層マンションでも,建物の基本部分だけが残されてしまい,家具も壁紙も消滅してしまったら,文化的要素の大部分が消滅してしまうことになる。逆に,個々の居住者の生活が存在している時点では,その生活様式は多種多様であり画一的・均一的ではない。
それゆえ,特定の時代において特定の文化様式が社会であまねく使用されていたと想像することは却って危険なことだと思う。
例えば,現時点においても,芸術に全く無関心な人もいれば,能・狂言や歌舞伎を愛好する人もいれば,絵画や書を楽しむ人もいれば,スマホのアプリで観賞可能なコンテンツだけを楽しむ人もいれば,カラオケが大好きな人もいれば,散歩を欠かさないことで満足を得る人もいる。
一般に,相当に極端な社会または状況にある場合を除き,文化は単一ではない。古代の遺跡から実際に出土する土器や装身具等もまた,完全に画一化されたものではない。人々の生活は,誰でも同じもののように見えて,実はかなり個性的なものなのだ。

そして,このような遺跡は,そのような遺跡の包蔵地が保存されていることの価値,そして,そのような土地を後世の人々のために残すことの文化的な意味を考えるためにも必須の素材であると言える。現代の目先の利益しか脳内で処理できない人々には全く理解できないことだろうとは思うが,そのような目先の利益だけの追求が実は滅びの道そのものであるということも明確に自覚すべきことだろう。

IMG_2677.JPG茨城県道20号結城坂東線から見た遺跡所在地


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西の方から見た遺跡の全景


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発見された建物(第68号竪穴式住居)の柱と竃の復元


IMG_2684.JPG説明板


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休憩所(掘立柱式建物の復元物)


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休憩所(掘立柱式建物の復元物)の側面


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掘立柱式建物の説明板


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遺跡周辺の景色


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遺跡所在地から見たかなくぼ総合体育館


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