成田市船形:船形麻賀多神社と古墳(その2)
過日,船形麻賀多神社(千葉県成田市船形)を参拝し,その境内にある古墳(公津原39号墳)を拝見した。
麻賀多神社は,応神天皇の代に印旛国造伊都許利命が雅産靈命を稷山(成田市台方)に祀り,また,雅日孁命を瀛津宮(成田市船形)に祀って創建された古い神社。式内社・下總國印播郡麻賀多神社に比定されている。
船形麻賀田神社の境内にある古墳は,公津原39号墳と呼ばれ,一辺35×36m・高さ5mの方墳とされている。かなり大きな古墳だと言える。
初代印波国造伊都許利命の墓所と考えられている。
墳丘の前に立てられている説明板の記述によれば,現在,古墳それ自体が伊都許利神社として登録されているとのこと。古式をそのまま具現化する神社だと言える。素晴らしい。ただ、古墳それ自体が神社という概念が頭の中で明確化されていない人にとっては,どこに神社があるのかわからないというような感じになってしまうかもしれない。
墳丘の南東側裾には金刀比羅神社が鎮座している。この金刀比羅神社は,伊都許利神社(古墳)との関係では,境内社という位置づけになるのだろう。
公津原39号墳の主体部は横穴式石室。石室は,墳丘の南側に開口部が位置しているのだが,崩落により塞がっている。
文久4年(1864年)に掘り出されたという箱式石棺が墳丘の西側に置かれている。
西の方から見た公津原39号墳
伊都許利神社の説明板
石棺
横穴式石室開口部付近
横穴式石室の説明板
金刀比羅神社の鳥居
金刀比羅神社の石段
金刀比羅神社
金刀比羅神社の背後にある石祠
南東の方から見た墳丘
伊都許利神社の手水
墳丘南側の石段
公津原39号墳の標識
伊都許利命の由緒書
石段上部
印波國造伊都許利命墓碑
墓誌
墳丘南側の道路
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