成田市船形:船形麻賀多神社と古墳(その1)
過日,船形麻賀多神社(千葉県成田市船形)を参拝し,その境内にある古墳(公津原39号墳)を拝見した。
麻賀多神社は,応神天皇の代に印旛国造伊都許利命が雅産靈命を稷山(成田市台方)に祀り,また,雅日孁命を瀛津宮(成田市船形)に祀って創建された古い神社。式内社・下總國印播郡麻賀多神社に比定されている。
台方の麻賀田神社と船形の麻賀田神社との関係に関しては,船形の麻賀田神社が「奥の宮」という位置づけになっているようだ。
麻賀多神社の境内地周辺の景観は,往時のものとは相当に異なってしまっていると思う。大規模な開発によって地形も大きく変わってしまっている。そのために,この神社が果たしていた政治的・社会的な機能を想像することは容易なことではない。
しかし,この神社は,非常に重要な意味をもつ港湾(公津)を支配・管理するための官庁的な性質をもつ神社だったと考えられる。
境内には境内社の石祠の裂と並んで敷石十六枚が立てられている。それらの敷石は,古墳由来のものではないかというような印象を受けた。
説明板
拝殿前の鳥居
拝殿
本殿
神木
境内社(香取神社)
境内社(八代稲荷神社)
境内社(加志波比売神社)
境内社と敷石十六枚
敷石の一部
敷石十六枚碑
手水
境内林
玄松子:麻賀多神社
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