南相馬市鹿島区横手:横手古墳群(その1)

過日,横手古墳群(福島県南相馬市鹿島区横手)を見学した。
横手古墳群は,常磐線の線路近くのA地区に含まれる古墳(15基)と初発神社周辺のB地区に含まれる古墳(4基)とに分けて分類されている。
横手古墳群に含まれる古墳の概要は,鹿島町教育委員会編『真野古墳群確認調査報告書』(昭和50年3月)の中で示されている。

かしま交流センター(福島県南相馬市鹿島区横手)の駐車場にクルマを停め,そこから先は徒歩で往復。
まず榎内地内に位置する田の中に分布するA地区の古墳を見学した後,北西に移動し,初発神社を参拝の上でB地区(原田地内)の古墳を見学し,そこから南東の方に戻りながら常磐線の踏切を越えて移動し,踏切近く(八斗蒔地内)にあるA地区の残りの古墳を見学し,そして,かしま交流センターの駐車場に戻った。

このブログ記事ではA地区にある古墳を「A地区**号墳」と記載し,B地区にある古墳を「B地区**号墳」と表記することにした。

福島県道268号草野大倉鹿島線とのT字路交差点付近から福島県道120号浪江鹿島線の歩道を北上すると,道路西側に比較的大きな塚が見えてくる。この塚には,横手古墳群の所在地であることを示す白い標柱が立てられている。
鹿島町教育委員会編『真野古墳群確認調査報告書』(昭和50年3月)によれば,この塚は,横手古墳群のA地区14号墳に該当し,径9.2×10.6m・高さ2.2mの円墳とされているが,「一里塚?」との注記がある。

なお,この塚をA地区13号墳として表記しているネット上の記事や調査報告書上の記載等が存在するが,この塚はA地区の13号墳ではない。
A地区13号墳の所在地は常磐線の踏切脇(南東側)となっている。そのA地区13号墳は,発掘調査の結果,周溝跡が発見され,その周溝跡内から多数の埴輪片が発見された。A地区13号墳は,現在は湮滅しており,その所在地の現況は平坦地。
湮滅した古墳であっても,福島県指定の史跡として正規に登録されているはずの古墳なので,公的機関または公的機関から事務委託を受けた調査担当機関等が当該古墳及び関連古墳の番号を(正規の訂正手続等を経ないで)勝手に変動させる行為は,単に混乱を招くというだけではなく,違法行為となり得る。

加えて,榎内地内にはA地区15号墳(径4.5×2.5m・高さ1.7m・半壊・道路南側土手石棺露出)が存在することになっているのだが,よくわからなかった。
このA地区15号墳の所在地に関し,鹿島町教育委員会編『横手古墳群第一号墳調査報告書』(昭和35年8月)に付されている古墳分布図中では,A地区12号墳の北東の道路との間付近となっている。
その場所の現況は耕地となっているので,A地区15号墳は既に湮滅しているものと考えられる。そして,A地区12号墳の墳丘上にある石材は,A地区15号墳の石棺に由来するものではないかと推定される。
ただし,この点に関して土地所有者の方に質問しなかったので,確実ではない。

IMG_0310.JPG福島県道120号浪江鹿島線から見えるA地区(榎内地内)の古墳の様子
(右から順にA地区14号墳,5号墳,8号墳,7号墳)


IMG_0312.JPG南の方から見たA地区14号墳


IMG_0314.JPG
東の方から見たA地区14号墳


IMG_0331.JPG
北西の方から見たA地区14号墳


A地区の14号墳を見学した後,14号墳の北西約30mのところから西の方に分岐する道を進んだ。

その分岐点付近で最も近くに見えるのは,A地区5号墳。
A地区5号墳は,径16.2×16.5m・高さ3.5mの円墳とされている。大きな古墳だと言える。

5号墳の所在地から南東方向に直線状に4号墳と3号墳の所在地が続いている。ただし,3号墳と4号墳は,もともと墳丘が消滅している古墳なので,その場所には耕地しか存在しない。

IMG_0324.JPG北東の方から見たA地区5号墳


IMG_0329.JPG
北の方から見たA地区5号墳


少し進むと,道路脇(南側)に若干のコブ状地形が残る場所に至る。その場所には数本の樹木が植えてあり,農耕用の資材置場のようになっている。この場所がA地区の6号墳の所在地に該当するのだろうと判断した。この場所がA地区の6号墳ではないとすれば,6号墳は既に湮滅している。

A地区の6号墳は,径4.7×4.6m・高さ1.0mの円墳(半壊)とされている。現況では,1mの高さの部分が現存していないかもしれない。

IMG_0397.JPG
東の方から見たA地区6号墳所在地


IMG_0321.JPG
南東の方から見たA地区6号墳所在地


IMG_0341.JPG
北西の方から見たA地区6号墳所在地
(右奥に見えるのはA地区5号墳)


IMG_0352.JPG
南の方から見たA地区6号墳


A地区6号墳の西側に隣接して,A地区9号墳がある。
A地区9号墳は,径14.0×11.3m・高さ2.2mの円墳(半壊)とされている。「炭がまに利用」との注記があるので,かつてはそのように二次利用されていたのだろう。現況は,普通の塚であり,特に利用されているようには見えない。

IMG_0343.JPG東の方から見たA地区9号墳


IMG_0338.JPG
西の方から見たA地区9号墳


IMG_0393.JPG
南の方から見たA地区9号墳


A地区9号墳所在地の西側付近から南の方に折れて田の中を通る農道がある。幸運なことに,その場所で,たまたま除草作業をしていた所有者の方と出逢った。挨拶をし,古墳を見学しにきたことを説明し,農道部分に入ることの許可をお願いしたところ,快諾していただいた。更に,この地区の古墳のことなどについて詳しく御教示いただくことができた。とても勉強になった。まことにありがたいことだと思う。

所有者の方に御礼を述べた上で,その農道を進み,主としてその農道上から古墳を見学し,写真を撮った。墳丘には登らなかった。

A地区7号墳は,径6.5×9.0m・高さ2.3mの円墳とされている。
A地区8号墳は,径18.4×15.6m・高さ2.7mの円墳とされている。
A地区10号墳は,径23.4×17.7m・高さ4.8mの円墳とされている。
A地区11号墳は,径11.0×12.2m・高さ2.3mの円墳とされている。
A地区12号墳は,径3.8×5.4m・高さ1.5mの円墳とされている。鹿島町教育委員会編『真野古墳群確認調査報告書』(昭和50年3月)には「石棺露出」との注記がある。墳丘上に1個の石材が立てられ,別の石材が置かれているので,それらの石材が石棺材に該当するものと思われる。

IMG_0346.JPG北の方から見た農道
(手前左はA地区9号墳)
(中央左はA地区8号墳・中央右はA地区10号墳)


IMG_0356.JPG
北の方から見たA地区8号墳


IMG_0364.JPG
南西の方から見たA地区8号墳


IMG_0382.JPG
北東の方から見たA地区10号墳


IMG_0367.JPG
東の方から見たA地区10号墳


IMG_0365.JPG
南の方から見たA地区10号墳(左)・9号墳(中央)・6号墳(右)


IMG_0350.JPG
北の方から見たA地区7号墳


IMG_0360.JPG
北西の方から見たA地区7号墳


IMG_0362.JPG
西の方から見たA地区7号墳


IMG_0371.JPG
南東の方から見たA地区11号墳


IMG_0388.JPG
北東の方から見たA地区11号墳


IMG_0376.JPG
南の方から見たA地区12号墳(ズーム)


IMG_0385.JPG
南東の方から見たA地区12号墳


IMG_0389.JPG
東の方から見たA地区12号墳


IMG_0394.JPG
北東の方から見たA地区10号墳(左)・11号墳(中央)・12号墳(右)


この記事へのコメント