南相馬市鹿島区寺内~小池:真野古墳群(その4)

過日,真野古墳群A地区(福島県南相馬市鹿島区寺内)及び真野古墳群B地区(福島県南相馬市鹿島区小池)に含まれる古墳を見学した。

真野古墳群に含まれる古墳の概要は,鹿島町教育委員会編『真野古墳群確認調査報告書』(昭和50年3月)の中で示されている。
今回の現地踏査は,この確認報告書の記載と下記の南相馬市のWebサイトで入手できる「真野古墳群マップ」を比較対照しながら判断した結果に基づいているが,誤解や間違いが含まれているかもしれない。

真野古墳群B地区の範囲内にある古墳を見学した後,東の方に移動し,寺内排水路脇の遊歩道を通り,真野古墳群A地区所在地西端付近に至った。

IMG_0092.JPG西の方から見た寺内排水路


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寺内排水路の表示板

真野古墳群A地区の西端付近に位置する古墳の多くは,ゲートボール場のような場所とその周辺に残存している。A地区の最西端にある古墳は,A地区74号墳。
A地区74号墳は,径11.3×6.7m・高さ1.1mの円墳とされている。鹿島町教育委員会編『真野古墳群確認調査報告書』(昭和50年3月)には「宅地のため調査不能 墳丘一部残」と記されているけれども,現況は宅地ではない雑種地のような場所の中に墳丘がある。

IMG_0099.JPG北の方から見たA地区74号墳

IMG_0096.JPG南東の方から見たA地区74号墳


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東の方から見たA地区74号墳


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A地区74号墳所在地付近から見た寺内排水路


A地区74号墳の東にゲートボール場があり,その敷地の隅にA地区70号墳が保存されている。
A地区70号墳は,径9×11m・高さ0.9mの円墳とされている。
A地区70号墳の周囲(ごく近く)にはA地区68号墳~69号墳,71号墳~73号墳の所在地があるが,いずれも湮滅している。また,A地区118号墳の地下遺構が発見されているけれども墳丘はない。
それらの古墳の更に東(ゲートボール場敷地内?)にはA地区66号墳の所在地があるが,湮滅している。また,A地区119号墳の地下遺構が発見されているけれども墳丘はない。
古墳時代においては,ゲートボール場所在地付近はあまり高くない丘のような場所であり,(現況宅地の部分を含め)一帯全部がかなり大規模な群集墳の所在地だったと推定される。

IMG_0105.JPG南東の方から見たA地区70号墳


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南の方から見たA地区70号墳


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南西の方から見たA地区70号墳


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東の方から見たゲートボール場
(中央奥がA地区70号墳の所在地)


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西の方から見たゲートボール場
(右奥の緑地付近がA地区63号墳~65号墳の所在地)


ゲートボール場の南東に小規模な緑地があり,その緑地内にA地区63号墳,64号墳及び65号墳が保存されている。
それらの古墳のすぐ近くにA地区62号墳の所在地がある。A地区62号墳は,発掘調査によって既に湮滅していることが明らかにされている。

A地区63号墳は,径10×10m・高さ1.5mの円墳とされている。標柱には「六十二号墳」と記載されているが,「六十三号墳」の誤記と認められる。
A地区64号墳は,径11×11m・高さ1.6mの円墳とされている。箱型石室が発見されている。標柱には「六十三号墳」と記載されているが,「六十四号墳」の誤記と認められる。なお,現地には「六十四号墳」の標柱が立てられたコブ状地形が存在する。この標柱は,場所を間違って立てられたものと推定する。そして,そのコブ状の地形部分は古墳ではない。
A地区65号墳は,径9×9m・高さ0.5mの円墳とされている。A地区64号墳(標柱の記載は63号墳)のすぐ北側にある藪の中付近がその所在地と思われるが,私有地内であるために確認不可能。

なお,これらの古墳の標柱の記載が誤記であることは,福島県立相馬高等学校郷土研究室編『福島県相馬郡鹿島町寺内B1号古墳発掘調査報告書』(昭和32年9月)に付されている古墳分布図によっても裏付けられる。

IMG_0110.JPG西の方から見たA地区64号墳(標柱の記載は63号墳)
(左手の藪の中がA地区65号墳の所在地と思われる)


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南の方から見たA地区64号墳(標柱の記載は63号墳)


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東の方から見たA地区64号墳(標柱の記載は63号墳)


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南の方から見たA地区63号墳(標柱の記載は62号墳)


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南東の方から見たA地区63号墳(標柱の記載は62号墳)


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A地区64号墳の標柱が立てられている場所

IMG_0123.JPG東の方から見たA地区63号墳~65号墳の所在地

A地区63号墳~65号墳所在地のすぐ北東側にA地区59号墳がある。A地区59号墳は,径16×20・高さ2.6mの円墳とされている。
道により地山部分の一部が削られてしまっているけれども,古墳それ自体としては堂々たる古墳だと思う。

IMG_0125.JPG南東の方から見たA地区59号墳


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北東の方から見たA地区59号墳


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北の方から見たA地区59号墳


A地区59号墳所在地のすぐ南西側付近にA地区122号墳の所在地がある。
A地区122号墳は,もともと墳丘のない古墳であり,石室の一部が発見された古墳とのこと。現況においては,標柱もなく,石室の一部がどこに存在するのかよくわからない。

A地区59号墳所在地のすぐ東側にはA地区57号墳の標柱が立てられている。しかし,この場所は,墳丘が湮滅したA地区60号墳の所在地であり,A地区57号墳の所在地ではない。
A地区57号墳(径7×7・高さ0.5mの円墳)は現存していることになっているけれども,その所在地の現況は宅地となっており,既に湮滅したものと思われる。
なお,このあたりはA地区54号墳~58号墳の所在地となっている。しかし,そのほとんどはもともと墳丘のない古墳であり,墳丘の一部が残存していた古墳も宅地化により湮滅したのではないかと思われる。

IMG_0135.JPGA地区57号墳の標柱


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