東松山市下唐子:下唐子2号墳(冑塚古墳)

過日,下唐子2号墳(埼玉県東松山市下唐子)を見学した。墳丘のある場所へは所在地東側の墓地区画のような場所にある道を通って到達できた。大きく,立派な古墳だと思う。なお,2021年1月31日現在の「東松山市遺跡地図」では,下唐子2号墳(No. 344)の所在地が実際の場所よりも東にズレており,実際の古墳所在地の東側に位置する墓地区画付近にマークされている。地形の記載(等高線の記載)と明らかに齟齬しており,誤記と思われる。

塩野博『埼玉の古墳 比企・秩父』(さきたま出版会,2004年)の219~225頁によれば,下唐子2号墳は,冑塚古墳とも呼ばれ,直径37m・高さ約5mで二段築成の円墳とされている。発掘調査により,横穴式石室が発見され,金環,銀環,勾玉,刀子,鉄鏃,馬具一式等の出土品が発掘されたとのこと。
また,同書214頁,225頁によれば,下唐子2号墳(冑塚古墳)の所在地周辺には,かつて多数の古墳があり,「原坂口古墳群」と呼ばれていたようだ。この原坂口古墳群は,下唐子1号墳(御嶽山古墳)所在地を中心とする御嶽山古墳群及び下唐子3号墳(若宮八幡古墳)所在地を中心とする塚原古墳群と共に,現在の下唐子古墳群に統合されて理解されている。

同書225頁には「原坂口古墳群には,多数の古墳が築造されていたが,現在ではそのことごとくが削平され破壊されてしまった」と書かれている。しかし,実際には,かつての原坂口古墳群の古墳の全てが削平または破壊されてしまったのではなく,下唐子塚2号墳(冑塚古墳)に隣接して下唐子8号墳が現存しており,また,周辺には古墳なのかどうかは判然としない低い塚状地形が散見される。ただし,古墳時代の古墳ではなく,後代の塚の残存物の可能性もある。同書225頁には「原坂口古墳群には,多数の古墳が築造されていたが,現在ではそのことごとくが削平され破壊されてしまった」と書かれているのは,下唐子8号墳(同書出版当時は,東松山市No.182遺跡)が原坂口古墳群ではなく,御嶽山古墳群に含められていたからだと推定される。しかし,原坂口古墳群の範囲と御嶽山古墳群の範囲とは,大きく重複するものだったと推定される。そして,現時点における「東松山市No.182遺跡」の範囲は大きく縮小され,「原坂口遺跡」という名称になっている。

あくまでも一般的な推論として,厳密な意味での古墳時代の古墳に限定することなく,かつて古墳として理解されていた塚状地形の所在地という意味での原坂口古墳群の所在地を推定してみると,立地から判断して,現況において墓地区画となっている場所や地蔵尊が建立されている場所等がそれに該当するのではないかと思った。古い関連文献を丁寧に探索・検討すれば具体的なことが判明するのかもしれないが,現時点ではそのための時間的な余裕がないので,後日の宿題として残すことにした。

下唐子2号墳の東側には,塚原遺跡と呼ばれる集落跡遺跡(No.180)がある。石のある広場の部分を含め,唐子中央公園の敷地のほぼ全部がこの遺跡包蔵地の中にある。

IMG_7018.JPG南東の方から見た様子


IMG_6977.JPG南の方から見た様子


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墳頂付近


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南西の方から見た墳丘の一部


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西の方から見た墳丘の一部


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南西の方から見た全景


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塚原遺跡所在地の東端部分の一部


  東松山市:冑塚古墳出土品

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