藤枝市:若王子古墳群(その4)

過日,若王子古墳群(静岡県藤枝市若王子)を見学した。
「古墳の広場」に至る経路は2つある。私は,「梅園」の奥から山道を登って「古墳の広場」に至り,古墳群を見学した後に「フジの庭園」の方に下る遊歩道を経由するというコースを選択した。
若王子古墳群は,28基の古墳(主として円墳)で構成される古墳群とされているが,その中には,現在では古墳ではなく方形周溝墓だと理解されているものもあり,また,墳丘のない古墳や他の古墳の一部を二次利用して構築された古墳もあるので,明確な墳丘が28基残されている場所というわけではない。

若王子古墳群に関しては,藤枝市史編さん委員会編『藤枝市史 資料編1 考古』(平成19年)の435~450頁に詳細な解説がある。

若王子古墳群の北西側の部分には6号墳~10号墳がある。7号墳では,復元木棺が展示されている。

若王子古墳群の被葬者は,比較的古い葬祭文化の継承者である一族に属する者だろうと思う。素人の直観としては,割竹式の木棺は,舟そのものだ。長江流域から移動してきた人々の文化を伝えるものではないかと思われる。西方の印欧語族の人々や北方の蒙古系の人々が優勢となる時代以前の長江流域の文化は,現在のベトナムやタイと共通のものがある。現代の中華人民共和国の公式見解とはかなり異なるかもしれないが,「漢族」という単一民族が存在した地ではない。
日本国の神社に飾られている鏡と雲形は,むしろ,エジプトや古代の楚の遺物との共通点が著しい。現代において考えられているような中国とは全く異なる中国がそこに存在している。その文化は,むしろ日本国の伝統文化に近い。
航海術に長けた人々が現在の日本列島に到着して定着し,更に東方へ進出して北米大陸に至ったことは,ほぼ疑いようがない。日本国で発掘される遺物に刻まれた大型船舶の図を見ると,そのようにしか想像できなくなる。
非常に優れた海洋民族であれば,大型の丸木舟で相当長距離を移動できる。現代の実験によって再現することがしばしば困難なのは,乗船者が現代の若者であって,哺乳動物の個体としてはエネルギー消費が多きすぎ,同じ理由により筋力を最適化された状態で使用する方法を知らないことによる。しかも,星座や太陽の位置から現在地を知る方法や風と雲の様子から近未来の気象を予測する方法を既に失ってしまっている人々の子孫なので,古代人には簡単にできた長距離航行を再現できないのだ。特に,現代の研究者の多くが丹後地方の古い神社等に見られる本来の風神と雷神のことを知らないことは致命的な欠陥だと言える。

私は,こういうことを考えるときには必ず,柳田國男の『海上の道』を思い出す。そして,島崎藤村の「椰子の実」の詩を思い出す。

そのようなことなどを考えながら散策し,「フジの庭園」の方に降りる道を歩いた。途中で展望台のような場所があった。古墳かとも思ったのだが,どうも古墳ではないらしい。

藤棚の北側にはロング滑り台~芝生公園付近の長い尾根がある。この尾根上の場所とその周辺一帯もまた古墳群所在地であり,釣瓶落古墳群と呼ばれている。その詳細は,『藤枝市史 資料編1 考古』の451~460に書かれている。

IMG_6105.JPG南東の方から見た7号墳


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7号墳の説明板


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7号墳の墳丘上の木棺復元


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南東の方から見た7号墳(左端)~10号墳(右端)


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南東の方から見た8号墳


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東の方から見た9号墳


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南東の方から見た10号墳


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南の方から見た6号墳


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南東の方から見た6号墳


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北端付近から見た古墳群の様子
(左手前が24号墳・左奥が5号墳)
(右手前が9号墳・右奥が8号墳)


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散策路の路傍のミツバツツジ


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若王子古墳群の標石等
(背後奥は1号墳)


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標石近くの説明板


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途中の斜面


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「フジの庭園」付近の遊歩道


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掲示板と案内図


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釣瓶落古墳群の所在地付近


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