茨城県北相馬郡利根町立木:蛟蝄神社門の宮と立木貝塚遺跡

過日,蛟蝄神社奥宮を参拝した後,蛟蝄神社門の宮(茨城県北相馬郡利根町立木)を参拝した。
社殿は古いもののようなのだが,非常に興味深いつくりとなっていた。拝殿正面の注連縄が奥宮のものと一緒で独特。

門の宮の境内地を含む周辺一帯は,立木貝塚と呼ばれる縄文時代の貝塚遺跡がある。この遺跡からは非常に多数の土偶が出土したとのことなので,非常に古い時代から信仰の場でもあった可能性が高いと思われる。その信仰は,重要な食糧源である貝類の豊作を海の神に祈るものだったのに違いない。
なお,竹倉史人『土偶を読む-130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社,2021年)は,縄文時代の土偶の多くが貝類や果実の形状を模したものだという見解を示しており,私もそうだろうと思う。利根町出土の土偶残欠を見ると,顔面はアサリまたはシジミの形状を示しており,神体は女性なので,海の幸を産む女神というような信仰があったのだろうと想像される。
貝塚から土偶が発見されることに関しては諸説あるけれども,貝塚が単なるゴミ捨て場なのではなく,祖先から連綿として生きてきた人々の生存の歴史を示すモニュメントでもあるとすれば,過去に蓄積された貝殻の山の上で祭祀を行い,そこに土偶を立て,または,土偶を埋め,豊かな海の幸が更に続くことを祈願したものかもしれないと考える。そのように理解するためには,自然の産物を食した残骸もまた現時点における生の一部として混然一体となった精神現象のようなものを想定する必要がある。要するに,「ハレ」と「ケ」が完全に分断されていない精神世界があり得る。後代になって,特に大和朝廷による国内統一後には,そのような精神世界も大きな変容を遂げることになったのだろうが,現在でも民間信仰の中にその残滓を見つけることは可能だ。
そして,蛟蝄神社が水と関係する女神を主祭神としているのは,縄文時代における豊かな産物(食糧)を産む豊穣の神としての女神という観念とその女神を崇敬することによる恩恵にすがって生きている人々の精神世界の姿を現代まで伝えているものだと理解することは可能な範囲内にあると思う。
一般に,現代における文化概念だけを固定観念として維持している限り,縄文時代の人々の精神世界を理解することは不可能ではないかと思う。現代人の精神世界と縄文時代の人々の精神世界とは,全く異なるものかもしれないという前提から考えなければ,何も見えてこない。

ちなみに,参拝を終えた後,クルマを停めておいた場所まで戻るため神社近くの前の道路を歩いていたら,近隣にお住まいと思われる女性と出逢った。その方からは,神社で挙行されていたお祭りの賑わいのことなどの御教示を受けることができた。まことにありがたいことだと思う。

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鳥居


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石段


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石段脇にある猿田彦大神


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拝殿


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本殿


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本殿の彫刻(一部)


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境内社


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境内社


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手水


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立木貝塚所在地(境内南東側斜面付近)


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立木貝塚所在地(社殿裏付近)


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立木貝塚の説明板


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蛟蝄神社周辺の史跡案内板


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銀杏の古樹



 蛟蝄神社
 http://www.koumoujinja.jp/

 利根町:蛟蝄神社
 http://www.town.tone.ibaraki.jp/page/page004161.html

 玄松子:蛟蝄神社
 https://genbu.net/data/simofusa/koumou_title.htm

 利根町:立木貝塚
 http://www.town.tone.ibaraki.jp/page/page000137.html

 ColBase:土偶残欠(立木貝塚出土)
 https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/J-38186?locale=ja

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