茨城県東茨城郡大洗町磯浜町:大洗磯前神社
過日,大洗磯前神社(茨城県東茨城郡大洗町磯浜町)を参拝した。主祭神は,大己貴命(大國主命)。少彦名命を配祀している。
式内社・常陸国鹿嶋郡大洗礒前薬師菩薩明神社に該当する。
大洗磯前神社は,文徳天皇の斉衡3年(856年)に創建の古い神社とされている。水戸徳川家から保護を受け,享保15年(1730年)に現在の地に遷座したとのこと。
長年私が追い続けている少彦名神ゆかりの神社の1つであり,酒列磯前神社(茨城県ひたちなか市磯崎町)と共に茨城県(旧常陸國)において少彦名神を祀る神社の代表的な存在となっている。『延喜式神名帳』に示された名から,薬師菩薩と同視されていたことがわかる。当時,『大同類聚方』のような薬方を処方していた神社や寺院は,名実共に医療の神として,少彦名神または薬師菩薩(薬師如来・薬師瑠璃光如来)を崇敬したのだろう。
これまで,大洗磯前神社と酒列磯前神社を何度も参拝した。しかし,あまり写真を撮っていなかった。今回,思うところがあり,大洗磯前神社を参拝した上でその写真を撮影することにした。
神門前の鳥居から見える太平洋がとても眩しい。
本殿は,茅葺のものであり,素晴らしいの一言に尽きる。
以下は,あくまでも一般論。大洗磯前神社とは全く無関係の雑文。
一般に,薬師菩薩(薬師如来)の信仰の実際に関しては,従来あまり研究されていない。
それは,関連経典のテキストを重視し過ぎた秀才僧侶の観念論によるものと思われる。
現実に生きる人々は,その地の領主が変わるたびにその顔色を窺わないと生き延びることができない。だから,民衆は,その名目は何でも良いから,伝説の聖徳太子の施薬院のようなものを求め続けたのだろうと思う。古来の神社や寺院は,名目の別を問わず,間違いなくそのような役割を果たしていたと考える。ただし,当然のことながら,領主や富裕者が優先され,一般民衆は後回しにされる。
そのような現実の中で,立身栄達や名誉ではなく,民衆のために自分が可能な全てを尽くし,苦しみを共にし,やれる限りの工夫を尽くして施薬し,そして,土に帰った小さな寺院の僧侶は数えきれないほど大勢いたのだろう。小さな神社の神官や宮司達もまた同じ。
当時は,現代において考えられているような意味での職業医師というものが存在しなかった。
『大同類聚方』を繰り返し何度も読み,薬方に用いられた実際の植物を可能な限り精密に分析した上で,読めば読むほど,民衆と直接に接する現場において利用可能な薬方を考え続ける僧侶や神官の絶望にも近いような苦悩がじわじわと伝わってくるようになってきた。
時代は全く異なるが,それでなくても手薄な装備が完全に枯渇してしまっている状況の下で,地面に横たわり,中には「楽にしてくれ」という視線を送りながらうめいている僚兵達を前に,茫然と立ち尽くす最前線の若き軍医のような者の姿が私の夢の中に見える。
そのようなそれぞれの時代の事実を直視し,そのような事実と経典の解釈・執行との関係を構造的または社会学的に解析することが現代仏教学における最大の研究課題であると考える。
無論,このように言うことは,教義や理論それ自体を疎かにしてよいということを全く意味しない。
しかし,それぞれの時代における現実を無視して単調な教条主義的に理想を説いてみても何の救済にもならないことだけは明らかだと思う。
一般に,薬師菩薩(薬師如来)の信仰の実際に関しては,従来あまり研究されていない。
それは,関連経典のテキストを重視し過ぎた秀才僧侶の観念論によるものと思われる。
現実に生きる人々は,その地の領主が変わるたびにその顔色を窺わないと生き延びることができない。だから,民衆は,その名目は何でも良いから,伝説の聖徳太子の施薬院のようなものを求め続けたのだろうと思う。古来の神社や寺院は,名目の別を問わず,間違いなくそのような役割を果たしていたと考える。ただし,当然のことながら,領主や富裕者が優先され,一般民衆は後回しにされる。
そのような現実の中で,立身栄達や名誉ではなく,民衆のために自分が可能な全てを尽くし,苦しみを共にし,やれる限りの工夫を尽くして施薬し,そして,土に帰った小さな寺院の僧侶は数えきれないほど大勢いたのだろう。小さな神社の神官や宮司達もまた同じ。
当時は,現代において考えられているような意味での職業医師というものが存在しなかった。
『大同類聚方』を繰り返し何度も読み,薬方に用いられた実際の植物を可能な限り精密に分析した上で,読めば読むほど,民衆と直接に接する現場において利用可能な薬方を考え続ける僧侶や神官の絶望にも近いような苦悩がじわじわと伝わってくるようになってきた。
時代は全く異なるが,それでなくても手薄な装備が完全に枯渇してしまっている状況の下で,地面に横たわり,中には「楽にしてくれ」という視線を送りながらうめいている僚兵達を前に,茫然と立ち尽くす最前線の若き軍医のような者の姿が私の夢の中に見える。
そのようなそれぞれの時代の事実を直視し,そのような事実と経典の解釈・執行との関係を構造的または社会学的に解析することが現代仏教学における最大の研究課題であると考える。
無論,このように言うことは,教義や理論それ自体を疎かにしてよいということを全く意味しない。
しかし,それぞれの時代における現実を無視して単調な教条主義的に理想を説いてみても何の救済にもならないことだけは明らかだと思う。
大洗磯前神社
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