守谷市高野:浅間神社
過日,浅間神社(茨城県守谷市高野)を参拝した。祭神は,木花之佐久夜毘売。
浅間神社の由緒等の詳細は不詳。下記のつくば新聞の記事によれば,大同年間に坂上田村麻呂の創建との伝承と寛永年間に創建との伝承があるらしい。ただし,典拠不明なので,確認しようがない。
浅間神社の鎮座地は,ちょっとした小山になっている。元は,島のような場所だったと推定されるが,現在では,利根川堤防の一部に組み込まれており,境内地西側の堤防上の参道を通って鳥居をくぐり,石段を登り,拝殿前に至るようになっている。拝殿の西側は細長く伸びた尾根状になっており,そこから低地に降りる道はないようだ。ただし,元はこちらのほうが正面参道だったのではないかというような印象を受けた。
この小山全体としてはおたまじゃくしのような形をしており,西側に細長く伸びた尾根状の地形部分が少し低くなっており,全体としては2段になった砦様の形状をしている。現時点において,遺跡包蔵地とはされていないけれども,あくまでも立地の問題としては,防御用の砦または物見櫓のような施設があったのではないかと想像される。
更に,西側に細長く伸びた尾根状部分には庚申塔等が並んでいる。現況の地形からは判然としないけれども,かつては,庚申塚が並んでいたのかもしれない。拝殿のすぐ西側付近には,もしかするとその残骸ではないかと疑われるような地形部分が若干残っている。そして,仮に庚申塚が存在していたとして,それらの庚申塚が古墳の二次利用物であった可能性はあり得るのではないかと考えた。
とは言っても,現時点では,何も遺跡が存在しない場所として扱われているので,空想の域を出ない。
堤防の南側~南西側には大野川が流れ,更に西側には利根川が流れている。しかし,河川敷に濃密に生えた草木のために川の様子を見ることができない。
つくば新聞:守谷市
http://www.tsukubapress.com/moriya.html
浅間神社の由緒等の詳細は不詳。下記のつくば新聞の記事によれば,大同年間に坂上田村麻呂の創建との伝承と寛永年間に創建との伝承があるらしい。ただし,典拠不明なので,確認しようがない。
浅間神社の鎮座地は,ちょっとした小山になっている。元は,島のような場所だったと推定されるが,現在では,利根川堤防の一部に組み込まれており,境内地西側の堤防上の参道を通って鳥居をくぐり,石段を登り,拝殿前に至るようになっている。拝殿の西側は細長く伸びた尾根状になっており,そこから低地に降りる道はないようだ。ただし,元はこちらのほうが正面参道だったのではないかというような印象を受けた。
この小山全体としてはおたまじゃくしのような形をしており,西側に細長く伸びた尾根状の地形部分が少し低くなっており,全体としては2段になった砦様の形状をしている。現時点において,遺跡包蔵地とはされていないけれども,あくまでも立地の問題としては,防御用の砦または物見櫓のような施設があったのではないかと想像される。
更に,西側に細長く伸びた尾根状部分には庚申塔等が並んでいる。現況の地形からは判然としないけれども,かつては,庚申塚が並んでいたのかもしれない。拝殿のすぐ西側付近には,もしかするとその残骸ではないかと疑われるような地形部分が若干残っている。そして,仮に庚申塚が存在していたとして,それらの庚申塚が古墳の二次利用物であった可能性はあり得るのではないかと考えた。
とは言っても,現時点では,何も遺跡が存在しない場所として扱われているので,空想の域を出ない。
堤防の南側~南西側には大野川が流れ,更に西側には利根川が流れている。しかし,河川敷に濃密に生えた草木のために川の様子を見ることができない。
つくば新聞:守谷市
http://www.tsukubapress.com/moriya.html
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