常総市蔵持:神子埋古墳群(その3)
過日,神子埋古墳群群(茨城県常総市蔵持)を見学した。
弁天塚古墳所在地の東約100mのところに平親王将門一族墳墓之地という石碑と説明板がある。
現在では窪地のようになってしまっているけれども,堤防が構築された結果,相対的に低い土地になったというだけのことで,元の地形は全く異なっていたと考えられる。
この石碑の所在地の北側に小山があり,山頂には熊野神社が祀られていたようだ。現在では,熊野神社の石碑があるだけとなっている。この熊野神社の所在地または熊野神社所在地と平親王将門一族墳墓之地との間の斜面のいずれかに権現塚古墳(前方後円墳)があったのだろうと推測した。権現塚古墳は,現在では湮滅しており,その正確な所在地を知ることができない。
熊野神社所在地の北側は,神子女霊園という墓地になっている。
その墓地の中に神子埋57号墳出土箱式石棺が保存されている場所がある。その場所は,塚のような形をしているけれども,古墳ではない。
その墓地の中に神子埋57号墳出土箱式石棺が保存されている場所がある。その場所は,塚のような形をしているけれども,古墳ではない。
神子女霊園の北の方に株式会社ダスキン茨城西工場の建物がある。
その建物の中央付近の道路に面した部分に凹状の場所があり,その場所に神子埋4号墳がある。この神子埋4号墳が茨城県教育委員会編『重要遺跡報告書Ⅰ』(昭和57年3月)の280頁に示されている稲荷塚古墳に該当するのだろうと判断した。
よく残したものだと思う。経営者の英断であり,賞賛に値すると思う。
その建物の中央付近の道路に面した部分に凹状の場所があり,その場所に神子埋4号墳がある。この神子埋4号墳が茨城県教育委員会編『重要遺跡報告書Ⅰ』(昭和57年3月)の280頁に示されている稲荷塚古墳に該当するのだろうと判断した。
よく残したものだと思う。経営者の英断であり,賞賛に値すると思う。
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