高萩市上手綱:穂積家住宅
過日,穂積家住宅(茨城県高萩市上手綱)を見学した。
高萩市教育委員会編『高萩市の史跡・文化財』(平成15年)の4~5頁によれば,穂積家は,文化3年(1805年)に鈴木太郎左衛門が松岡領主中山氏の郷士となり,姓を穂積・名を津太夫と改めたのが始まりとのこと。
高萩市史編纂専門委員会編『高萩市史 上』(昭和44年)の291頁によれば,出羽國に転封となる前は佐竹氏の領地だった常陸國が水戸徳川家の領地となり,高萩周辺の地域が水戸藩の藩領に組み入れられた後,水戸藩附家老・中山信正の知行地となり,以後,中山氏がこの地の領主となった。『高萩市史 上』の扉には,松岡藩主・中山信徴の写真が掲載されている。
説明板によれば,穂積家住宅の主屋は,安永2年(1773年)に建築されたものとのことなので,穂積家が松岡藩の郷士となる前の時代に建築された建物ということになる。穂積家の経済的基盤は,農耕・酒造・山林経営の多角経営だったとようなので,当時としては相当の富豪だったと言えると思う。
穂積家住宅の敷地内内には,主屋のほか,室町時代~戦国時代の館の櫓門を想像させるような形をした長屋門,土蔵,衣裳蔵等の建物があり,また,とても立派な庭園もある。
庭園内の大きな築山は,古墳または塚を思わせるような雰囲気をもっている。それが古墳または塚の二次利用物なのかどうかはわからない。主家裏の竹林内にも小さな塚のようなものがある。
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