牛久市井ノ岡町:稲荷塚古墳群再訪(その2)
過日,稲荷塚古墳群(茨城県牛久市井ノ岡町)を再訪した。
この古墳群の所在地付近は,ときどき通過するのだが,古墳の上に生えていた樹木の一部が伐採されて綺麗になっていることに気づき,再訪することにした。
見学している途中から小雨がぱらつくような日だったけれども,どうにか無事に見学することができた。
1号墳の南には4号墳がある。
4号墳に関し,牛久市史編さん委員会編『牛久市史料 原始・古代-考古資料編-』(平成11年)の168頁では,1辺約15m・高さ約2mの方墳としている。実際にはもっと大きな古墳のように見える。
墳頂には石祠が祀られている。
稲荷塚古墳群を構成する古墳の中では4号墳が最も目だつ古墳ということになるが,最近では,後代の塚とする見解もあるようだ。
なお,墳頂に生えているヤマザクラは,牛久市の保存樹木に指定されている。
4号墳の南の方に3号墳がある。
3号墳に関し,『牛久市史料 原始・古代-考古資料編-』は,直径約25m・高さ約3mの円墳としている。
この3号墳の墳丘に生えている樹木は伐採されない状態のままなので,墳丘の様子がよくわからない。
(私見:この古墳は,『牛久市史料 原始・古代-考古資料編-』(平成11年)の168頁にある5号墳に該当するのではないかと思う。)
3号墳に関し,『牛久市史料 原始・古代-考古資料編-』は,直径約25m・高さ約3mの円墳としている。
この3号墳の墳丘に生えている樹木は伐採されない状態のままなので,墳丘の様子がよくわからない。
(私見:この古墳は,『牛久市史料 原始・古代-考古資料編-』(平成11年)の168頁にある5号墳に該当するのではないかと思う。)
3号墳所在地の西の方にある道路に挟まれた狭い場所に非常に低い高まりのある場所がある。6号墳として紹介されることの多い古墳なのだが,『牛久市史料 原始・古代-考古資料編-』では9号墳として記載している古墳に該当すると思われる。そこでは,「径約5m・高さ0.6mの高まりで,削平された古墳の可能性がある」と記されているので,古墳として確定的に判断されているというわけではなさそうだ。
この場所にも青面金剛明王が立てられているので,少なくとも庚申塚として認識されてきた場所なのだろうと思う。
この場所にも青面金剛明王が立てられているので,少なくとも庚申塚として認識されてきた場所なのだろうと思う。
[追記:2021年2月10日]
『牛久市史料 原始・古代-考古資料編-』(平成11年)の168頁にある記載を読み直し,考えてみた結果,古墳のあてはめに関し,普通いわれているのとは異なる意見をもつようになった。私見として付加することにした。
趣味の案件:牛久市稲荷塚古墳群
この記事へのコメント
コメントありがとうございます。
『牛久市史料 原始・古代-考古資料編-』の本文には9基(+離れた場所の遺構1基)の古墳のスペックが記されておりながら,図面には6基分の印しかないので,難解の極みのような古墳群なのですが,もともと文化財保護の関連文書の管理システムとその監査システムが明確に定義されていなかっためにそういうことになってしまったのだろうと推察します。かつては地権者の協力を得て測量をすることも簡単なことではなかったと想像しますから,そういうことも一因として考えられます。
あちこちの古墳を実見し,過去の資料と照合する作業を進める間に,名寄せができていない古墳群が多数あることに気づきました。自治体をまたがっている場合にしばしばあります。この問題に特に注目しながら更に調査を進める予定です。
4号墳の東側は漸く草刈りされたのですね!自分が書いた墳丘番号は1号墳調査時に市の方で管理してる遺跡分布図で割り当てられた番号ですが、非公開ではないもののコピーも出来ず手書きで写せるのみでした。
過去の記述との齟齬は、専門部署がない為に引き継いだ方の温度差によって全てが伝わってないからなのでしょうね。