つくば市若栗:念向寺
過日,時宗・智光山定正院念向寺(茨城県つくば市若栗)を参拝した。本尊は阿弥陀如来。
創建は,創建は大同元年(806年)とされている。元は真言宗の寺院だったらしいのだが,若栗城が落城した際に堂宇全てが焼失した。その後,戦国時代末になって再興され,現在では時宗(浄土宗)の寺院となっている。
念向寺は,一見すると普通の寺のように見えるかもしれないが,貴重な文化財がある。
念向寺が所蔵する蓮糸織出六字名号(南無阿弥陀仏)と菅原道真公像画は,つくば市指定の文化財となっている。菅原道真公像画は,室町時代の作と推定されており,江戸時代にこの地を治めた細川氏(熊本)が寄進したものだという。
境内にはイチョウの巨樹とシイの巨樹があり,つくば市指定の文化財となっている。イチョウは本堂の前にある。シイは,本堂の左奥(南西側)にあり,塚のようなものの上に生えている。この塚のようなものは,古墳とはされておらず,土塁か何かの残存物のように見える。現在のところ,岡見氏の若栗城(御城)の範囲は,つくば牡丹園敷地の一部及びその北側隣地とされている。しかし,周辺の地形から見て,念向寺の境内地周辺も若栗城の一部だったのではないかというような印象を受ける。
なお,つくば牡丹園の敷地の東側部分は若栗宮本古墳群の包蔵地として指定されている。ただし,墳丘として明確に識別可能なものは存在しない。また,かつては,近隣に幾つかの古墳群が指定されていたけれども,現在では,いばらきデジタルマップ上から削除されているようだ。
境内には八幡大神・熊野大神・天満宮と記された大きな板碑のようなものがある。古墳由来の石材のような印象を受ける。
創建は,創建は大同元年(806年)とされている。元は真言宗の寺院だったらしいのだが,若栗城が落城した際に堂宇全てが焼失した。その後,戦国時代末になって再興され,現在では時宗(浄土宗)の寺院となっている。
念向寺は,一見すると普通の寺のように見えるかもしれないが,貴重な文化財がある。
念向寺が所蔵する蓮糸織出六字名号(南無阿弥陀仏)と菅原道真公像画は,つくば市指定の文化財となっている。菅原道真公像画は,室町時代の作と推定されており,江戸時代にこの地を治めた細川氏(熊本)が寄進したものだという。
境内にはイチョウの巨樹とシイの巨樹があり,つくば市指定の文化財となっている。イチョウは本堂の前にある。シイは,本堂の左奥(南西側)にあり,塚のようなものの上に生えている。この塚のようなものは,古墳とはされておらず,土塁か何かの残存物のように見える。現在のところ,岡見氏の若栗城(御城)の範囲は,つくば牡丹園敷地の一部及びその北側隣地とされている。しかし,周辺の地形から見て,念向寺の境内地周辺も若栗城の一部だったのではないかというような印象を受ける。
なお,つくば牡丹園の敷地の東側部分は若栗宮本古墳群の包蔵地として指定されている。ただし,墳丘として明確に識別可能なものは存在しない。また,かつては,近隣に幾つかの古墳群が指定されていたけれども,現在では,いばらきデジタルマップ上から削除されているようだ。
境内には八幡大神・熊野大神・天満宮と記された大きな板碑のようなものがある。古墳由来の石材のような印象を受ける。
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