土浦市:愛宕山古墳群
過日,愛宕山古墳群(茨城県土浦市今泉)を見学した。愛宕山古墳群は,今泉愛宕山古墳の周辺にあり,その配置図は,土浦市編さん委員会編『土浦市史』(昭和50年)53頁にある。ただし,この地図はかなりアバウトなもので,おおまかな相対的位置を示す程度のものに過ぎない。また,昭和50年当時には道として利用されていた土地が現況では原野または山林になってしまっているところがある。加えて,同書52頁にある今泉愛宕山古墳の詳細な測量図と比較してみると,同書53頁にある今泉愛宕山古墳の図の前方部と後円部とが逆向きに表示・印刷されているので注意を要する。
現地を訪問し,『土浦市史』にある古墳と対照してマッピングした図を作成してみた。
現況で全部または一部が残存していると認識できたものは黄色で表示した。実際には立入り可能と判断できたところだけ観て回ったので,現実にアクセスしていない場所の現況は不明。そのような場所は,青色で表示した。青色表示のものの位置に関しては,正確なものではない。
『土浦市史』の記載及び現況から湮滅確実と判断できたものは灰色で表示した。
今泉愛宕山古墳は白色で表示した。
問題は,9号墳なのだが,それらしい塚のようなものが概ね9号墳所在地付近に存在し,その塚の頂上には石棺材のような石碑が並べられている。これが9号墳なのかどうかは判然とせず,比較的最近になって構築された供養塚のようなものかもしれないので,赤色で表示することにした。
図の⑦と⑪との間に低い円墳を発掘した名残りのようにも見えるものがあるけれども,これは,7号墳ではなくゴミ穴の一種だろうと判断した。類似のゴミ穴のようなものは他の場所にも複数存在する。
1号墳は,愛宕山古墳群の最西端の低い場所にある。『土浦市史』では直径数メートルの円墳と記載しているが,日本語の用法としては明らかな誤用であり,ここに「数メートル」と記載されているのは実際には「5m~10m程度」のものを指しているので,注意を要する。以下,全ての古墳について同じ。
墳頂と墳丘西側に祠があり,現在でも信仰の対象となっていることが分かる。氏神のようなものではないかと思う。
1号墳のすぐ南側のところには道祖神と弁財天がある。その前で合掌した。
2号墳と思われる墳丘様のものは畑の中にある。農道を歩いて近くまで寄ってみた。大きな墳丘のようにも見えるが,正確な大きさや形はわからない。『土浦市史』にも大きさが明示されていない。大きな墳丘のように見えるのは畑地を平坦にするために大規模に掘削された後の段の部分に該当するのでそのように見えるだけで,実際にはこの雑種地部分の中央付近にある小さな高まりの部分だけが2号墳に該当する可能性のあるものなのではないかと思う。
3号墳は,現況で道路になっている部分の西側に続く濃密な笹薮に1カ所だけ切れて通り道のようになっている部分をくぐり抜けた場所にある。この場所へは北側から続く道路があった。現況は,ほぼ廃止と同然になっており,山林と変わらないが,一応通ることができる状態にある。
この場所に4号墳,3号墳及び7号墳が並んでいることになっている。しかし,4号墳と7号墳は,湮滅したものと思われる。
3号墳は,全長40mの前方後円墳で前方部を南の方に向けていることになっている。実際に存在するものは円墳様のもので,『土浦市史』にも「以前に掘られて墳形は旧態を留めない」と記載されている。前方部は掘削されて久しいのではないかと思う。前方部があったと推定される部分には廃屋のようになった物置小屋があった。円墳様の残存部分の墳頂には小さな祠がある。また円墳様のもの付近(南西)の地面に石棺材ではないかと思われる比較的大きな岩が置いてあった。
このあたりの土地は,かつて耕地として開拓され,耕作されていたのだろうと思う。しかし,現況では明らかに耕作が放棄され,荒地または山林となっている。
5号墳は,段丘の北端にあり,段丘下に降りる小路の脇にある。この小路はまだ廃止されていないと判断した。5号墳の南側の土地は整地されて整然と植林されている。その植林されている場所の中に立ち入ることはできないと判断し,その場所の中に足を踏み入れないようにしながら墳丘にアクセスした。墳丘それ自体としては,かなり良好に保存されていると言えるのではないかと思う。目測で直径7~8m程度の円墳のように見える。ただし,この5号墳と判断したものは,実は植林地を造成した際の残土の山であるかもしれず,もしそうであるとすれば,5号墳は湮滅したものと判断すべきだろう。
6号墳の所在地はひどい笹薮になっており,その中がどうなっているのかを確認できなかった。
8号墳と10号墳は,耕地造成のために湮滅している。
9号墳の所在地と推定される場所付近に塚のようなものがある。しかし,その塚のようなものは,9号墳ではなく,現代に構築された供養塚の一種かもしれない。もしそうであるとすれば,9号墳も既に湮滅していることになる。
11号墳は,直径約8mの円墳とされている。比較的良好に保存されていると思った。
現地を訪問し,『土浦市史』にある古墳と対照してマッピングした図を作成してみた。
現況で全部または一部が残存していると認識できたものは黄色で表示した。実際には立入り可能と判断できたところだけ観て回ったので,現実にアクセスしていない場所の現況は不明。そのような場所は,青色で表示した。青色表示のものの位置に関しては,正確なものではない。
『土浦市史』の記載及び現況から湮滅確実と判断できたものは灰色で表示した。
今泉愛宕山古墳は白色で表示した。
問題は,9号墳なのだが,それらしい塚のようなものが概ね9号墳所在地付近に存在し,その塚の頂上には石棺材のような石碑が並べられている。これが9号墳なのかどうかは判然とせず,比較的最近になって構築された供養塚のようなものかもしれないので,赤色で表示することにした。
図の⑦と⑪との間に低い円墳を発掘した名残りのようにも見えるものがあるけれども,これは,7号墳ではなくゴミ穴の一種だろうと判断した。類似のゴミ穴のようなものは他の場所にも複数存在する。
1号墳は,愛宕山古墳群の最西端の低い場所にある。『土浦市史』では直径数メートルの円墳と記載しているが,日本語の用法としては明らかな誤用であり,ここに「数メートル」と記載されているのは実際には「5m~10m程度」のものを指しているので,注意を要する。以下,全ての古墳について同じ。
墳頂と墳丘西側に祠があり,現在でも信仰の対象となっていることが分かる。氏神のようなものではないかと思う。
1号墳のすぐ南側のところには道祖神と弁財天がある。その前で合掌した。
2号墳と思われる墳丘様のものは畑の中にある。農道を歩いて近くまで寄ってみた。大きな墳丘のようにも見えるが,正確な大きさや形はわからない。『土浦市史』にも大きさが明示されていない。大きな墳丘のように見えるのは畑地を平坦にするために大規模に掘削された後の段の部分に該当するのでそのように見えるだけで,実際にはこの雑種地部分の中央付近にある小さな高まりの部分だけが2号墳に該当する可能性のあるものなのではないかと思う。
3号墳は,現況で道路になっている部分の西側に続く濃密な笹薮に1カ所だけ切れて通り道のようになっている部分をくぐり抜けた場所にある。この場所へは北側から続く道路があった。現況は,ほぼ廃止と同然になっており,山林と変わらないが,一応通ることができる状態にある。
この場所に4号墳,3号墳及び7号墳が並んでいることになっている。しかし,4号墳と7号墳は,湮滅したものと思われる。
3号墳は,全長40mの前方後円墳で前方部を南の方に向けていることになっている。実際に存在するものは円墳様のもので,『土浦市史』にも「以前に掘られて墳形は旧態を留めない」と記載されている。前方部は掘削されて久しいのではないかと思う。前方部があったと推定される部分には廃屋のようになった物置小屋があった。円墳様の残存部分の墳頂には小さな祠がある。また円墳様のもの付近(南西)の地面に石棺材ではないかと思われる比較的大きな岩が置いてあった。
このあたりの土地は,かつて耕地として開拓され,耕作されていたのだろうと思う。しかし,現況では明らかに耕作が放棄され,荒地または山林となっている。
5号墳は,段丘の北端にあり,段丘下に降りる小路の脇にある。この小路はまだ廃止されていないと判断した。5号墳の南側の土地は整地されて整然と植林されている。その植林されている場所の中に立ち入ることはできないと判断し,その場所の中に足を踏み入れないようにしながら墳丘にアクセスした。墳丘それ自体としては,かなり良好に保存されていると言えるのではないかと思う。目測で直径7~8m程度の円墳のように見える。ただし,この5号墳と判断したものは,実は植林地を造成した際の残土の山であるかもしれず,もしそうであるとすれば,5号墳は湮滅したものと判断すべきだろう。
6号墳の所在地はひどい笹薮になっており,その中がどうなっているのかを確認できなかった。
8号墳と10号墳は,耕地造成のために湮滅している。
9号墳の所在地と推定される場所付近に塚のようなものがある。しかし,その塚のようなものは,9号墳ではなく,現代に構築された供養塚の一種かもしれない。もしそうであるとすれば,9号墳も既に湮滅していることになる。
11号墳は,直径約8mの円墳とされている。比較的良好に保存されていると思った。
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