結城市:松月院と結城家御廟

過日,曹洞宗・窪田山松月院(茨城県結城市結城)を参拝した。結城家十七代晴朝公の開基とのことで,結城家代々の墓所を守護・供養するための結城家のみのための寺院だったと考えるべきだろう。このような特定の氏族または家系のみの墓所とその墓所を守護・供養するための寺院施設という組み合わせは,古墳時代以前から存在し,古墳時代においても実は基本的な構成になっていたと考えられる。中世~戦国時代~江戸時代に大型墳丘墓ではなく石塔や墓石を構築するようになっても,基本的な構成に変化はなかったと考えるのが正しい。その意味で,日本国における在来宗教の多くは,墓所の主であるそれぞれの家系のための祖先崇拝と混然一体となったものだったと理解すべきものだろうと思う。
そのようなことなどに思いをめぐらせつつ,観音堂と御廟の前で合掌した。

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本堂


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由緒書


松月院の近くには,結城家代々の墓所(御廟)がある。長方形墳のような形をした基壇の上に墓石が並び,説明板等があった。とても立派な墓所だと思う。墓所の脇に観音堂があり,多数の石仏等がある。
墓所のある場所は,基本的には低地ではあるけれども近隣地よりも少し高い場所なので,古墳時代の大型墳丘墓と同様,支配者としての威容を示すものでもあったと考えられる。
この墓所のある場所は,もともと古墳だった場所を二次利用したものではないかとも思われるが,現在のところ,この点について調査・検討した結果を示す論文等を発見できていない。

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結城家御廟


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観音堂


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説明板

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