明治大学博物館:今 甦る!琵琶湖に君臨した王 雪野山古墳

明治大学博物館(東京都千代田区神田駿河台)において,2019年10月4日~2019年10月27日の開催期間で「今 甦る!琵琶湖に君臨した王 雪野山古墳」という展示会が開催されている。昨日(16日),その展示会を観てきた。

雪野山古墳は,以前から私が大きな興味をもってきた古墳の1つなのだが,時間的余裕がなく,現地まで出かけることができないでいたので,長時間の移動なしで出土品等の実物やレプリカを観ることができる今回のような展示会はとても助かる。

全体として,とても勉強になった。特に,靫に関しては,保存・展示のための特別の工夫が開発された工程の解説があり,感心した。鏡の実物は,錆びて群青色になっているけれども,レプリカのほうは製造当時のピカピカのもので,当時においてはどのようなものとして鏡が認識されていたのかを理解する助けとなる。

とても良い展示会だと思う。


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博物館のある建物


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会場入口


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会場内の様子


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復元された鏡(レプリカ)


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壺形土器


会場には復元された冑(兜)も展示されていた。その復元された冑は,非常に特殊なものだと思う。古代の中国製のものではないかという見解があり,私もそう思う。また,物体としての冑だけが渡来したというよりも,その冑を家宝として保持している者が渡来し,倭国において上級武人として行動したのだろうと思う。『新撰姓氏録』の記載内容を合理的に解析すると,古代豪族の大半が渡来人であることが示されていることを理解できるし,そもそも日本国の建国神話における「天孫降臨」それ自体によって,「倭国の歴史時代の支配豪族の祖は,倭国土着の者の子孫ではない」ということが明確に示されているとしか言いようがない。「國譲り」の神話も同様に考えることができる。

私見としては,天孫降臨のような出来事は,多数回累積的に発生し,特に大きな出来事は,少なくとも3回以上発生したと考えている。古事記・日本書紀の記載は,それら複数回の出来事が簡単にまとめられてしまっているので,理解が難しい。そして,現時点では,古代の畿内の豪族の大半が渡来人とその子孫だったと理解する見解のほうがむしろ優勢ではないかと思う。

ただし,豪族間の攻防により消滅したと考えられてきた幾つかの豪族に関しては,別名の豪族になった場合,あるいは,朝廷の命により東国の屯田・開拓のために一族の主要部分が移動してしまった場合などの可能性を考える必要があると思う。なにしろ畿内(特に奈良盆地)には平坦な土地が極めて乏しく(古代においては大阪周辺の大部分が海だった。),人口の大規模増加には全く耐えられないという致命的な欠陥がある。



 明治大学博物館



 東近江市埋蔵文化財センター:史跡雪野山古墳

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