市川市:里見公園と明戸古墳

過日,里見公園(千葉県市川市国府台)を散策し,公園内にある明戸古墳を見学した。明戸古墳は,全長約40mの前方後円墳とされているが,中世~戦国時代頃に里見城の土塁の一部に組み込まれてしまったため一見すると双方中円墳のような感じに見えてしまう。伝承によれば,太田道灌が里見城の基礎となった砦を築城する際,古墳の後円部から2つの石棺を発見したとのことだ。それらの石棺は,現在に至るまで明戸古墳の墳頂にある石棺として保存されてきたということになっているのだが,若干疑問がある。仮に保存されてきたとしても,神社を建立し,その御神体として覆屋を建て,風雨に晒されない状態で保存されていたものだろうと想像した。また,この石室が明戸古墳の本来の石棺ではなく,中世~戦国時代頃まで墳丘墓が造営された可能性があり,また,古代の古墳を二次利用した可能性があることを払拭できないので,これらの石棺が後代のものである可能性もある。それらの可能性が是認される場合,本来の石棺または石室が未発掘の状態でどこかに残されているかもしれないということになる。

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里見公園案内図


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南西側から見た後円部


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明戸古墳の墳頂付近


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説明板


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石棺


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後円部付近から見た前方部


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北東側から見た全景


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東側から見た後円部


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前方部端付近


明戸古墳のすぐ東の方に滝があり,その上部が墳丘状になっている。この場所が市川市の最高標高地点(標高30.1m)となっているのだが,かつては,その墳丘状のものも古墳として理解されていたようで,以前は「ちば情報マップ」上でもそのように表示されていた(現在ではその表示がない)。この場所は,古図上では浅間神社が所在した場所だと思われる。

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墳丘状の最高標高地点


里見公園内にはもう1つ奇妙な盛土状のものがある。多数の岩石を配置してある。近世以降または現代において造営されたものだろうと思う。危険なので,立入禁止となっている。

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岩石を配置した盛土様のもの


里見公園は,段丘上にあり,里見公園内の展望場所等からは西の崖下にある江戸川と更に西方に続く低地の様子をかなり遠くまで詳細に見渡すことができる。現在見えている低地の大部分は,古代においては古代の東京湾の一部だったので,この台地の上からはその水面を航行する船舶の様子を仔細に監視可能だったと思われる。つまり,里見公園のある場所は,中世~戦国時代においてのみならず,古代においても軍事的に非常に重要な場所であり,この地域を支配しようとする者が必ず確保しようとした場所だったと考えられる。

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里見公園から見える西方の低地と江戸川


私が里見公園を訪問した時には,白花のヒガンバナが花を咲かせていた。

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