前橋市総社:光巌寺

今年の春のことだが,天台宗・秋元山光巌寺(群馬県前橋市総社町総社)を参拝してきた。戦国武将である秋元氏の菩提寺であり,秋元氏の墓所は,宝塔山古墳の墳頂付近にある。宝塔山古墳それ自体は,秋元氏とは全く無関係のもので,この地の領主となったことを契機として秋元氏が二次利用したものに過ぎない。それゆえ,光巌寺及び秋元氏と関連付けて総社古墳群の起源を理解することは全く無意味なことなのだが,仏教との関係において総社古墳群を理解することを試みることは非常に重要なことだと思っている。特に,当時の中国において,戦乱の時代が終わり,更に隋から唐へと変化する政情の変化,そして,それぞれの時代における仏教建築や仏教美術のトレンドが日本国の古墳造営に与えた影響は,かなり大きなものだったと推定される。地域差のようなものがあるとしても,一般的には,「古い時代から存在するものは別として,新たに造営される墳墓の墳丘の高さに関しては,仏塔よりも高いものであってはならない」というような観念が次第に浸透したのかもしれない。木造建築物によって荘厳され,国家の権威を示す国家仏教が普及することによって,そのような効果・影響も生じ得ることは,むしろ当然の帰結と考えられる。

それはさておき,光巌寺は,立派な寺院であり,江戸時代初期からの建築物が残されている部分が多いとのことで,とても勉強になった。


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長屋門


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本堂


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元三大師堂と薬師堂


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鐘楼



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