熊谷市:宮塚古墳とその周辺の古墳など
過日,宮塚古墳(埼玉県熊谷市広瀬)を見学してきた。上円下方墳とされるが,異なる見解もあるようだ。下方部とされている部分を基壇に過ぎないと考えるとすれば,普通の円墳であることになる。訪問した時は,夏なので,樹木の葉に遮られて,外からは墳丘の形を明確に認識することが難しかった。冬であれば落葉樹の葉が落ちるので,外からでも墳丘の形を明確に知ることができるだろう。近年,関東地方のあちこちで上円下方墳が見つかり,また,従来は円墳または方墳とされてきた古墳の見直しが行われている。過去には多数あったのかもしれない。広瀬古墳群の場合,新幹線の工事によって重要な古墳が湮滅してしまうことを避けることに一応成功していると思う。
宮塚古墳の近くには広瀬4号墳と広瀬2号墳がある。広瀬2号墳は,田の中にあり,接近できない。遠くからズームで写真を撮るだけにした。
一般に,都市化や開発が進み,湮滅してしまう古墳が増えている地域においては,その全体像をつかむことが難しくなりつつある。
これまで各地を旅して,区画整備,工業団地造成,大規模ショッピングモール等の誘致,住宅地の開発等のために重要な古墳群が破壊された例を多数みてきた。その中には,現時点では完全に放棄された耕地,廃墟となったショッピングモール,人の住まない住宅街等もあった。
しかし,そうやって失敗した人々がその地を復旧させ,古墳群を復元することはないし,そのような法制もないし,現実問題として,やりたくてもやりようがない。破壊された遺跡が元に戻ることはないのだ。
(理想的には)以上のようなことを考えた上で,合理的に都市計画を策定すべきなのだが,(現実には)教育委員会等の関係機関の文化財保存のための意見よりも事業者の金銭的な欲望のほうが優先してしまうことが多い。しかし,重要な遺跡のあったところであり,古墳等の遺跡も存在していたのに,それを1個も残さずに住宅地等として開発した場合,その住民が文化的に誇ることのできる地域に暮らしていると言えるのだろうか。また,そのような歴史上・文化上重要な遺跡等が保存されている地域に暮らすことを誇りに思うことのできるような子孫を育てることができるのだろうか。
古墳を見学しながら,そのようなことを考えた。
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