石岡市:常陸国分寺跡
過日,真言宗智山派・浄瑠璃山東方院国分寺(茨城県石岡市府中)の敷地内にある常陸国分寺跡を見学した。金堂と講堂の礎石の列などが残されている。かつての金堂の場所には薬師堂が建立されている。当時の境内地はかなり広かったと考えられるが,現在ではその大部分が都市化してしまっている。この国分寺を訪問した時には桜の花が散り始めている頃で,何やら諸行無常を感じさせるものがあった。
[追記:2019年7月27日]
後日,石岡市文化財関係資料編纂会編『石岡市の遺跡-歴史の里の発掘100年史』(石岡市教育委員会,1995)を読んだ。同書によれば,現在の浄瑠璃山東方院国分寺にある礎石等は,律令の時代のものとは異なるとのことだ。律令の時代の国分寺の位置に関しては,諸説あるらしく,また,建替えもあったと推定されるので,はっきりしない。
[追記:2019年7月27日]
後日,石岡市文化財関係資料編纂会編『石岡市の遺跡-歴史の里の発掘100年史』(石岡市教育委員会,1995)を読んだ。同書によれば,現在の浄瑠璃山東方院国分寺にある礎石等は,律令の時代のものとは異なるとのことだ。律令の時代の国分寺の位置に関しては,諸説あるらしく,また,建替えもあったと推定されるので,はっきりしない。
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