潮来市:大生古墳群
浅間塚古墳を訪問した後,大生古墳群(茨城県潮来市大生)を訪問した。既に湮滅した古墳もあるが,多数の古墳が保存されており,現在でも古墳群としての様子を知ることのできる非常に貴重な文化資産だと思う。古墳群の西南角のところにある駐車場にクルマを停め,そこからは徒歩で周辺を散策した。この駐車場は、「茨城県水郷県民の森」の東側区域の一部となっている。その西側区域には立派な駐車場やトイレ等の施設・設備が整っている。
駐車場の近くに8号墳があり,次に子子舞塚古墳があり,そして,鹿見塚古墳がある。この鹿見塚古墳が最もこの古墳群の中で有名な古墳であり,その前に案内版が立っている。ただし,5号墳と23号墳の所在地の表示は,実際とは異なるように思う。
これらの古墳を見た後,大生神社に向かった。
境内には松和稲荷神社がある。
大生神社を参拝した後,更に徒歩で周辺を散策。途中で,猿田彦大神を祀る塚のようなものを見つけた。これも古墳なのではないかと思う。
路傍にはヤセウツボ(Orobanche minor)がいっぱい生えていた。
かつて畑や林だったのではないかと思われるところに非常に広大な太陽光発電施設が構築されており,驚いた。公示中の掘削土壌断面をみると,おそらく過去の戦乱の痕跡を残すものと思われる住居址のようものの断面も見えるところもあったので,この周辺一帯の地下にはかなり広大な規模で遺跡が眠っている可能性がある。
そんなことを考えながら,いくつかの古墳を回った。
そして,最後に,大生殿神社に至り,その神社を参拝した。
この神社の基壇にあたる部分は,比較的大きな方墳となっており,1614年に亡くなった大生弾正平定守公の墓所。
大生氏である定守公がなぜ平氏を名乗っているかについては諸説あろうが,結局のところ,石岡(府中)の大掾氏が常陸平氏の嫡流であることと同じような理由によるものではないかと思う。
境内に立つ碑文の中には,大生氏の後裔として大生氏本家と大野家本家が記されているほか,協力者として杉浦氏が記されている。
あれこれ想い巡られせることの多い旅だった。
駐車場の近くに8号墳があり,次に子子舞塚古墳があり,そして,鹿見塚古墳がある。この鹿見塚古墳が最もこの古墳群の中で有名な古墳であり,その前に案内版が立っている。ただし,5号墳と23号墳の所在地の表示は,実際とは異なるように思う。
これらの古墳を見た後,大生神社に向かった。
境内には松和稲荷神社がある。
大生神社を参拝した後,更に徒歩で周辺を散策。途中で,猿田彦大神を祀る塚のようなものを見つけた。これも古墳なのではないかと思う。
路傍にはヤセウツボ(Orobanche minor)がいっぱい生えていた。
かつて畑や林だったのではないかと思われるところに非常に広大な太陽光発電施設が構築されており,驚いた。公示中の掘削土壌断面をみると,おそらく過去の戦乱の痕跡を残すものと思われる住居址のようものの断面も見えるところもあったので,この周辺一帯の地下にはかなり広大な規模で遺跡が眠っている可能性がある。
そんなことを考えながら,いくつかの古墳を回った。
そして,最後に,大生殿神社に至り,その神社を参拝した。
この神社の基壇にあたる部分は,比較的大きな方墳となっており,1614年に亡くなった大生弾正平定守公の墓所。
大生氏である定守公がなぜ平氏を名乗っているかについては諸説あろうが,結局のところ,石岡(府中)の大掾氏が常陸平氏の嫡流であることと同じような理由によるものではないかと思う。
境内に立つ碑文の中には,大生氏の後裔として大生氏本家と大野家本家が記されているほか,協力者として杉浦氏が記されている。
あれこれ想い巡られせることの多い旅だった。
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