常総市大生郷町:大生郷天満宮
過日、大生郷天満宮(茨城県常総市大生郷町1234番地)を参拝してきた。ここには菅原道真公の遺骨が埋納されており、その意味で、最も由緒正しい天満宮であることになる。その縁起に関しては、下記の大生郷天満宮のWebサイトに詳細な説明がある。
正面鳥居の左側のほうに駐車場があったのでそこに車を停め、そこからは徒歩で拝殿に向かった。
時期が時期だけに、拝殿の左側には節分行事のための施設が構築され、合格祈願祈祷の掲示等があった。
参拝し、御札を頂戴してから境内地を散策した。御神牛の像がある。
そのあとで、御廟を参拝した。
近年に改築されたもので新しいのだが、基壇は長方墳と同じ四角形、墓石は天満宮に伝来する古い絵の姿と同じような宝珠の形をしている。
この地は、御廟が設けられた当時には海に浮かぶ島だったそうだ。おそらく、現在の霞ケ浦のような光景が一帯に広がっていたのだろう。現在水田となっている平地の大部分は海の底に長い年月をかけて火山灰等の泥土が蓄積して陸化したものだ。
また、この地は、大生氏(大氏、多氏、王氏)と縁のある地としても知られている。
縁起によれば、菅原道真公の三男である景行公が道真公の遺骨を抱えて各地に赴任した後、常陸國に赴任した際にこの地が遺言に適う地であると判断して遺骨を埋納したのが天満宮のはじまりとのことだ。
いろいろとさしつかえがあるので詳しくは書かないが、宝珠の形状は本来は「桃」を意味すると考えられ、神社では伊勢神宮や籠神社(元伊勢)などの限られたところにのみ伝わるものであることや、御廟の地と大生氏との深い関係等を考えると、この地が御廟としてたまたま選定されたのではなく、景行公は、その真意を厳に隠して朝廷に恭順し、職務に精励しつつ、強いゆかりのある常陸國に赴任し、その地に父の御廟を得る機会を狙い続け、遂にその目的を果たすことができたのではなかろうかとも考えられる。その「景行」との名は、偶然ではなく、古代において倭武による統治が完成したと推定される時期の景行天皇にちなむものではないかとも想像される。すなわち、菅原道真公は、その子の名に託して、その真の出自を後世に伝えたものとも想像される。仮にそうであるとすれば、藤原氏との間で熾烈な抗争が生ずることを避けて通ることは不可能である。
御廟を参拝しながら、そのようなことを考えた。
大生郷天満宮
この記事へのコメント
コメントありがとうございます。
この天満宮の縁起は,口承等によるものではなく,近隣にあった石碑に刻まれていた文によるものだそうです。その石碑は,現在では風化して文字を読むことができませんが,明治時代には読めたそうで,その碑文の読解により,菅原道真公の墓所であることが確実なものとされているとのことです。拝殿脇にその解説があります。
この記事の写真を撮った頃,「仕上げるまで2か月はかかるな~~」と思っていた非常に大きな仕事を抱えておりました。しかし,この天満宮を参拝した後,突如として頭脳が冴え,体力が沸き,根気が強化され,仕事に精励できた結果,当初の予定よりもだいぶ早く,約20日ほどの期間で一応仕上げることができました。これも天神様の御利益かと考え,先日,御礼の参拝をしてきたところです。
初めて知りました。
京都が目と鼻の先のこちらでは無理もないことなのですが、道真といえばもっぱら北野天満宮となってしまいます。
しかし、祟りを恐れて権力側が作った神社より、息子さんが心を込めて遺骨を納めた神社の方が、道真さんも心安らか過ごせるのではなかろうか … そんなことを考えました。