比婆荒神神楽の面

国立歴史民族博物館の神楽のコーナーには比婆荒神神楽の面の展示もあった。建御雷命の面と大年神の面の兼用とされる面,そして,荒神の面だ。年神の実像については諸説ある。なかなかイメージが湧きにくい神の一つなのだが,少なくとも古代の人々は,このような面の容貌から神の姿を想像したのに違いない。

比婆荒神神楽の面
左:建御雷命面・大年神面
右:荒神面


これらの面は,複製(レプリカ)だ。暗い展示会場でコンパクトデジカメで撮影したものなので,この写真では面の色彩等は正確に反映されていない。ただ,建御雷命面・大年神面の口の中を見ると,どう見ても「おはぐろ」をしているように見える点には注目したい。「おはぐろ」の風習は,中国南部の少数民族の中に現在でも伝承されているものなのだが,古代の中国ではもっと広い範囲で存在した可能性がある。ただ,古代の北方民族で「おはぐろ」の風習をもつ民族が存在したか否かについては,不勉強のためよくわからない。

ところで,同一の面を建御雷命の面としても大年神の面としても用いているという事実については,様々な評価が可能だろうと思う。

別神だという前提で,単純に,使える面が一つしかないから兼用したという解釈は成立可能だと思う。

しかし,もともと同一神だという解釈も成立可能だ。

なかなか難しい・・・

ちなみに,世阿弥の『風姿花伝』によれば,神楽は66場面あるのが本来の姿で,聖徳太子が自ら66個の面をつくって秦河勝に授けたとのことだ。

それが史実かどうかはわからない。しかし,神楽という祭礼・神儀と秦族とが非常に密接な関係を有していたということは肯定できそうだ。また,この伝承が史実だと仮定した場合,当時の神祇は秦河勝が仕切っていたと解するしかなくなるので,同時代に創建されたものと比定することが可能な古い神社や寺院の縁起を丁寧にかつ批判的に検討してみることによって,秦河勝の実像を(これまで理解されてきたのとはかなり異なるものとして)描き直すことが可能ではないかと思う。

『古事記』の天岩戸のくだりをみると,全ての出来事が,秦族の麻・絹との関係を示すもので,秦族の存在なしには神楽もないという因果関係を肯定することは可能ではないかと思う。このあたりのことについては,『古語拾遺』に書かれていることが非常に参考になる。

結局,蘇我氏は,秦族宗家そのものであるか,または,秦族と極めて密接な関係を有する豪族だったのだろうと考える。


  国立歴史民族博物館:第4展示室特集展示「中国・四国地方の荒神信仰-いざなぎ流・比婆荒神神楽-」
  http://www.rekihaku.ac.jp/outline/press/p140723/index.html

  国立歴史民族博物館
  https://www.rekihaku.ac.jp/

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