つくば市:八幡神社と平沢古墳群
平沢官衙遺跡からちょっとだけ山を上ったところに八幡神社がある。仏教式墓地と一緒になっているので,その由来については疑問があるけれど,記録上では,鎌倉時代に鶴岡八幡宮(鎌倉)から分霊を勧請して建立したものとされている。北条氏の支族がこの地に進出した際,古い寺院が神社となったのではないかとも考えられる。
まずは参拝した。それからその周辺を拝見。本殿の鬼瓦部分には三つ巴紋があるが,本殿側面には菊花紋などもある。一応,菊花だろうと思ったのだけれども,もしかすると牡丹花紋かもしれない。他の文様はよくわからない。
拝殿の前には古い石灯篭があり,説明板が立てられていた。また,神社の背後には,地蔵菩薩らしき立像があった。「征夷祖神日本武尊」と書かれた石碑もある。日本武尊は,『常陸国風土記』にしばしば「天皇」として登場することからもわかるとおり,常陸国の古代史と密接な関係がある。私は龍神(海神)と関係があると考えており,かつてこの地を支配した「多気氏」は本当は「龍氏」で,龍神の子孫なのではないかと思う。「多家」,「建」,「武」やこれらに類する氏も最初は「龍」だったのに違いない。そうすると,「武蔵」の語源も「龍」に遡り得るということにもなる。八幡神社の境内内には他に摂社とみられる小さな祠などがいっぱいあった。こういうものが混在しているところから考えると,神社と寺院とが別に存在したり習合したりしながら今日に至っているのではないかというような気がする。
八幡神社の脇から仏教式の墓地のある場所に入ってみた。妙な形の四角い石があった。椅子のようにも見えるけれども,そうではなく,何か神事に用いたものか,または,塔のようなものの礎石部分だったのかもしれない。側面には花のような文様があった。茶の花のようにも見え,あるいは,牡丹の花のようにも見え,あるいは蓮の花のようにも見えるのだが,よく分からない。
墓地は山の斜面にあるため,ところどころに石材などで補強した上で,段々畑のような構造で構築されている。その石材は,平たい岩石が多く,たぶん,かつて存在した古墳の石室に用いられた石材の破片を再利用しているのではないかと思う。
その墓地となっている場所を登りつめ,舗装された道路と交差するすぐ手前のあたりに不思議な形の比較的大きな石塔が立っている。その場所に,平沢古墳群第2号墳がある。説明板によると,横穴式石室の後室部分に相当するのだそうで,珍しい形の入口となっている。密教(ヒンズー教)と関係があるのではないかと思う。変わった形になっているのはこの入口部分だけで,石室の天井部分は平板になっていた。
そこから舗装された道路を横切り,山道に入る。山道の入口のところには平沢古墳群第3号墳が先にあることを示す道標のようなものがあった。山道に入ると,その左右はやはり段々畑のような地形構造になっているので,古い時代には寺院や墓地などがあったのではないかと思う。
その山道を少しだけ歩くと古墳らしきものが道路右下に見えてきた。近づいてみると,縄で周囲を囲ってあり,青いビニールシートがかぶせてあった。まだ発掘調査中なのだろうか?
この第3号墳の祭礼様式は,発掘結果などから推測すると,たぶん仏教式だったのだろうと思う。
古代において,古墳といえば神道と即断してしまいがちだけれど,神道ではなく仏教またはヒンヅー教だった可能性もある。先入観にとらわれることなく,様々な仮説をたてたうえで,柔軟に考えなおしてみるべきではないだろうか。
埼群古墳館:つくば市
http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/index.php/category/ibaraki/tukuba/
まずは参拝した。それからその周辺を拝見。本殿の鬼瓦部分には三つ巴紋があるが,本殿側面には菊花紋などもある。一応,菊花だろうと思ったのだけれども,もしかすると牡丹花紋かもしれない。他の文様はよくわからない。
拝殿の前には古い石灯篭があり,説明板が立てられていた。また,神社の背後には,地蔵菩薩らしき立像があった。「征夷祖神日本武尊」と書かれた石碑もある。日本武尊は,『常陸国風土記』にしばしば「天皇」として登場することからもわかるとおり,常陸国の古代史と密接な関係がある。私は龍神(海神)と関係があると考えており,かつてこの地を支配した「多気氏」は本当は「龍氏」で,龍神の子孫なのではないかと思う。「多家」,「建」,「武」やこれらに類する氏も最初は「龍」だったのに違いない。そうすると,「武蔵」の語源も「龍」に遡り得るということにもなる。八幡神社の境内内には他に摂社とみられる小さな祠などがいっぱいあった。こういうものが混在しているところから考えると,神社と寺院とが別に存在したり習合したりしながら今日に至っているのではないかというような気がする。
八幡神社の脇から仏教式の墓地のある場所に入ってみた。妙な形の四角い石があった。椅子のようにも見えるけれども,そうではなく,何か神事に用いたものか,または,塔のようなものの礎石部分だったのかもしれない。側面には花のような文様があった。茶の花のようにも見え,あるいは,牡丹の花のようにも見え,あるいは蓮の花のようにも見えるのだが,よく分からない。
墓地は山の斜面にあるため,ところどころに石材などで補強した上で,段々畑のような構造で構築されている。その石材は,平たい岩石が多く,たぶん,かつて存在した古墳の石室に用いられた石材の破片を再利用しているのではないかと思う。
その墓地となっている場所を登りつめ,舗装された道路と交差するすぐ手前のあたりに不思議な形の比較的大きな石塔が立っている。その場所に,平沢古墳群第2号墳がある。説明板によると,横穴式石室の後室部分に相当するのだそうで,珍しい形の入口となっている。密教(ヒンズー教)と関係があるのではないかと思う。変わった形になっているのはこの入口部分だけで,石室の天井部分は平板になっていた。
そこから舗装された道路を横切り,山道に入る。山道の入口のところには平沢古墳群第3号墳が先にあることを示す道標のようなものがあった。山道に入ると,その左右はやはり段々畑のような地形構造になっているので,古い時代には寺院や墓地などがあったのではないかと思う。
その山道を少しだけ歩くと古墳らしきものが道路右下に見えてきた。近づいてみると,縄で周囲を囲ってあり,青いビニールシートがかぶせてあった。まだ発掘調査中なのだろうか?
この第3号墳の祭礼様式は,発掘結果などから推測すると,たぶん仏教式だったのだろうと思う。
古代において,古墳といえば神道と即断してしまいがちだけれど,神道ではなく仏教またはヒンヅー教だった可能性もある。先入観にとらわれることなく,様々な仮説をたてたうえで,柔軟に考えなおしてみるべきではないだろうか。
埼群古墳館:つくば市
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この記事へのコメント
四角い石は一体何だったのでしょうね。謎です。
石灯篭も謎です。
個別の物件についてはそれぞれ説明がつくかもしれません。しかし,それが同じ場所になぜ共存しているのかが本質的な検討課題ということになりますね。非常に難しいです。
変わっていますね、四角い台石は中々見ません。
此の石灯篭を見ていると違和感を感じるのですが、、、、